« 【2】-4:気にかかること | トップページ | 【2】-6:バランス »

【2】-5:お願い

 『……こないだノート借りた時、途中までしかチェックしてなかった』
 しばらくの沈黙ののち、そう答えた柊に、奈央子は呆れた。
 「——それこそ『マジ?』って聞きたいわね。貸す前に範囲教えたはずだけど」
 『そうだっけ?』
 「そうだっけ、じゃないでしょ……まったく。試験は明日の朝一なのよ、わかってんの」
 『わかってるから電話してるんだろー。なあ、悪いけどもう1回貸してくれないか』
 「今からー?」
 『悪いっ、頼むよ奈央子、お願いします』
 電話の向こうで、実際に手を合わせている柊の姿が見える気がした。子供の頃から何度となく耳にしている、彼定番の台詞だった。
 ……そして、奈央子が幼なじみの「お願い」に弱いのもまた、定番になっていた。相手に気取られないように、いろんな意味をこめたため息をつく。
 自分自身にも呆れつつ、結局はこう言った。
 「わかった。今からそっち行くから、ノートの準備しといて」
 奈央子の住む女性専用マンションと、柊のアパートとは、最寄り駅で換算すると2つ分離れている。しかしどちらも駅から徒歩10分ほどの住宅街の中であり、加えて交通量の比較的多い国道に沿って行けば、自転車で20分程度の位置関係にあった。自宅からなら、わざわざ電車を使うより、自転車で直接行った方が手っ取り早い。
 マンションの駐輪場に停めてある自転車を引き出し、ライトをつけて出発した。6時を過ぎるとさすがに空が暗くなりつつある。
 信号であまり足止めされずにすんだからか、15分ちょっとで目的のアパートにたどり着いた。外階段の脇に自転車を停め、2階へと駆け上がる。
 203号室のチャイムを押すと、ほとんど間を置かずにドアが開いた。中に入りかけるが、なぜか柊が動こうとしない。
 不審に思って見上げると、柊がこちらをじっと見ていることに気づいた。数秒待ってみたが、状況は変わらない。
 居心地の悪いものを感じて、半分わざと、いつもより強い口調で尋ねた。
 「なんなの?」
 その瞬間、柊がはっとしたように目を見開いた。次いで、まばたきを何度も繰り返す。
 急に夢から覚めたような、そんな様子だった。



 ←前ページ  目次に戻る  次ページ→


|

« 【2】-4:気にかかること | トップページ | 【2】-6:バランス »

小説 -『ココロの距離』」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 【2】-4:気にかかること | トップページ | 【2】-6:バランス »