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【2】-7:抱きしめたくて

 さっきから、何かおかしい……奈央子が訪ねてきた時からそうだ。
 ドアを開け、彼女の姿を目にした瞬間、動けなくなった。急いで来たのか息を少し切らし、頬がやや紅潮した顔。こんなに美人だったろうか、とその時思った。
 奈央子の不審げな声で我に返り、自分がどれだけ無遠慮に相手を見ていたかに気づいた。とっさにごまかしたが、ひどくバツが悪い気分だった。
 今も同じだ。
 考えまいとしているのに、先ほどのことが脳裏から離れない——髪の甘い香りと感触、受け止めた体のやわらかさ。
 抱きしめたくてたまらなかった。
 「——っと、それじゃコピーしに行ってくるから。あ、晩ごはんどうせまだよね?」
 「あ、そうだな、コンビニ行くんなら何か弁当でも買って」
 「そんなことだろうと思った。コピー終わってから30分か40分待てるなら何か作るから。どうせ今晩の材料そこにあるし」
 奈央子が差し示した方向には例のスーパーの袋。
 軽い驚きとともにそれを見ているうちに、奈央子は玄関へと走っていた。ついて行こうとしたが、自転車があるからと奈央子は言いおき、素早く出ていった。
 外階段を下りていく足音を聞くともなしに聞きながら、柊は考えた。
 ……やっぱり、今の自分はおかしい。
 どうしてこんなに焦ったような気分になるのか。
 それも、20年近くの付き合いで、兄弟か親戚みたいな幼なじみに対して。
 そう、奈央子は一番近くにいる、ほとんど家族のような存在だ。3歳上の姉よりも近しい女きょうだい、そういった感じの。
 なのに、どうして今さら——知らない女に接したみたいに、心が落ち着かなくなるのか。
 ましてや、抱きしめてみたいなどと思ったのか。
 (……木下の話のせいだ、きっと)
 木下が思わせぶりな話をするから、それが今日のことだったから変に意識してしまっただけだ。きっとそうだ。
 一晩眠れば、気分も落ち着くだろう。柊はそう結論づけた。



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