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2008年8月17日 - 2008年8月23日

【3】-6:タイミング

 ——けれど、どう話せばいいのか。それが悩みどころだった。考えて考えて、ここ2日はあまり眠れていない。
 あくびをかみ殺し、口の中の息を吐き出す。
 それをため息と取ったらしく、柊が言った。
 「ひょっとして今頃試験疲れか? 年取ると筋肉痛とかが2・3日経ってから出てくるっていうけど、そういうやつか」
 「……あのね、2日しか違わないんですけど、誕生日」
 「まあそれは冗談として。景気付けになんか食いに行くか? ちょうど昼休みだし、こないだのノートの礼もしてないし」
 試験中に言っていた「オゴリ」のことだろう。まだ律儀に果たすつもりらしい。奈央子は断りかけて——途中で思い直した。
 「そう? じゃあありがたくご馳走になろうかな」
 食事の席なら、少しは話を切り出しやすいかも知れない。そう考えた。
 お互い3時限目に用事があるということで、選んだのは学内のステーキ料理店だった。大学からの委託で入っている外部店舗の一つである。
 席につくと柊は、一番人気のステーキランチを2人前注文した。
 「え、いいわよ。1200円もするのに」
 思わずそう言うと、柊は笑って手を振った。
 「気にするなって。こないだ入った給料がまだ残ってるし」
 科目選択期間のせいか、学内を行き来する学生の数は普段よりも多く思える。店内も満席で、厨房での調理の音も相まって結構ざわついていた。やがて料理が運ばれてきて、煙と匂いが文字通り目の前に広がる。
 内容が内容だけに、静かすぎる場所で話すよりは良いような気もするが……しかし、気持ちよいほどの食べっぷりを見せる柊を目にしていると、どうもタイミングがつかみづらい。
 あまり箸の動きが遅いと変に思われそうで、なるべく普段通りのスピードで食べようとするが、ともすれば喉につかえそうな心地がする。せっかくの味も半分わからないぐらいだった。
 柊の方はすでに、ごはんのお代わりなど頼んでいる状況である。
 たまに、こんなふうに一緒に食事をする機会は、実家にいる頃からのひそかな楽しみだった。何かの折に自分で作ったものを食べてもらい、気に入った時の嬉しそうな顔を見ることは、特に。
 そんな思いも今は、すぐに自己嫌悪に取って代わる。……つらい。
 考えてる間にも、柊の前の食器からはどんどん料理が減っていく。昼休みも残り20分程度になっていた。



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【3】-7:素直すぎる

 内心焦り始めた時、柊がこう聞いてきた。
 「なあ、近々筑前煮を作る予定とかない?」
 「え、——なんでよ」
 これ食べてたら、と小鉢の野菜の煮物を指して、
 「久々に食いたくなってきて。おまえが作るやつ、うちの母親に習った味だろ」
 今だ、と奈央子は思った。すかさず言う。
 「望月さんに作ってもらえば?」
 それを聞いて柊はきょとんとした顔になる。理由はわかるが、ここは話を続けなければならない。
 「おばさんから、望月さんに作り方教えてもらえば済む話でしょ。仲良くしてもらうちょうどいい機会じゃない」
 この2年の間に、里佳を実家に1・2度呼んではいるが、柊の両親とはまだ打ち解けてるとは言えない程度なのを奈央子は知っていた。
 わけがわからない、といった様子で柊はまばたきを速くした。しばしの沈黙の後、
 「……それはそうかも知れないけど、でもさ、慣れてるおまえが作る方が手っ取り早いだろ。それに、望月はあんまり料理が得意って言えないし」
 多少は戸惑っているようだが、基本的にはいつもと変わらない口調だ。その明快極まりない、もっと言うなら正直すぎる言い方に、急にムカっとしてきた。
 「——そういう言い方やめなさいよ。彼女でしょ」
 時々本当に、無神経なぐらいに素直すぎる……むしろ鈍感と言い替えるべきか。
 「だいたい、あんた、望月さんのことちゃんと大事にしてるの? なんか……恋人として接してあげてないみたいに見えるわよ、たまに」
 「————?」
 「望月さんを最優先に考えてあげてない時があるって言ってるの、今みたいにね。2年も付き合ってるのに、おばさんと仲良くしてもらいたいとか思わないわけ? そんな調子じゃ先々困るのはあんたの方なんだから。嫁と姑の確執で板挟み、ってよくあるんだし」
 「嫁姑……って、おい何の話を」
 「ともかく、もっと望月さんの身になって考えてあげてよ。彼女なんだから。料理とか掃除とか何かの相談とか、そういうことは全部望月さんにやってもらうのが一番いいの」
 柊に説教しながら、同じことを自分自身にも言い聞かせていた。事実を再確認して、もう忘れることの——『調子に乗る』ことのないように。



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【3】-8:泣きたくなんかない

 無言で聞くうち、訝しげに眉を寄せていた柊が、話の区切りを見つけたように口を挟んだ。
 「望月となんかあったのか?」
 不意をつかれて一瞬言葉に詰まった。表情に出てないことを願いながら、奈央子は否定する。
 「——別に。わたしがそう思ったから言っただけ。第三者にそう見えるんだから、真面目に考えてみるべきだと思うわよ。それじゃ、そろそろ生協のバイトの時間だから」
 言いながら立ち上がり、代金をテーブルの伝票の上に置く。間を置かずにカバンを取り上げ、席から離れた。
 「……ちょ、待てよ奈央子」
 呼び止める柊の声も無視し、早足で店の出入口を通り抜ける。
 そのままバイト先へ向かうつもりだったが、途中で方向転換して、手近にあった化粧室に入った。幸い、先客は一人もいなかった。
 一番奥まで足を進め、衝動的に、洗面台に手をつく。喉元までこみあげてくる熱いものがあったが、我慢した。
 こんなことで泣きたくなんかない。
 だって泣く理由なんかないんだから——2年前に決まっていたことを再認識した、それだけのことなのだから。なのに。
 いくら歯を食いしばっても、胸から湧き上がる感情はおさまってくれない。涙が勝手に出そうになるのを、まばたきの繰り返しで懸命に抑える。
 早くバイトに行かなきゃいけない……あとしばらくだけ、誰も入ってきませんように。
 その2つだけを、奈央子はひたすら考えた。

 「……むら、おい羽村」
 「あ?」
 ささやくような呼びかけが耳元で聞こえ、驚いて柊は声がした方を向いた。
 隣に座る木下の、呆れたような顔。席の近い周囲の学生も、ちらちらと視線を向けてきている。柊の反応した声は意外に大きかったらしい。
 そこで、今の状況を思い出した。ここは学生会館内にある会議室のひとつ。昼休みの間ミーティングのために借りて、大学祭での出店に関する決定事項をサークルの全員に通達中なのであった。
 「あ、じゃないっての。さっきの話聞いてたか?」
 「さっき……って、どの?」
 「やっぱりな。期間中の店番シフトの話だよ。俺とおまえと、2年の永井さん中心で2日目午後の担当だって。あ、それと望月さんも」
 名前を聞くと同時に、柊は里佳の方を見た。
 黒板のある側に向かって、長机が横向きに10数列並んでいる会議室。里佳は友人の女子学生数人と一緒に、柊の3列ほど前に座っている。
 後ろから見ている限り、出店企画の責任者の話に耳を傾けながら、両隣の友人と時折しゃべっては、楽しげに肩を揺らしている。柊と会った時の様子もこれといって変わりはない。
 変わったというなら、それは奈央子だった。



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