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2008年10月26日 - 2008年11月1日

【5】-4:クリスマスイブ

 土曜日、大学生協は平日よりも1時間早く営業を終える。そして今日はクリスマスイブだ。
 昨日で年内の講義期間は終了し、週明けからは生協も営業時間を短縮して29日以降は正月休みとなる。
 そういうわけで、奈央子の年内のアルバイトも、今日で最後だ。年末年始は学生も当然少なくなるので、学生バイトも基本的には入れない。今日はたまたま、普段いるパートの女性が都合で休んだため、奈央子が臨時で入ったのだった。
 閉店の片付けを終え、職員や他のパートにクリスマスと年越しの挨拶をして、建物を出る。
 外はもう薄暗いが、まだ4時半過ぎである。奈央子は帰る途中、乗り継ぎの中継駅で下車した。
 食事は家で作るつもりだったが、イブなのでケーキぐらい買おうかなと考える。駅ビルの中にある、そこそこ有名な洋菓子店の「いちごショート」が、全体にコクがありながらもしつこくない味で気に入っていた。
 店をのぞくと、やはりイブのためか数人が順番待ちをしている。並んで待つ間、奈央子はショーケースの中に見つけた「いちごショート」の直径15センチサイズを、少し迷った末に買うことにした。それほど高くなかった(1000円強だった)し、なんとなくいつもより多く食べたい気分になったのだ。
 最後の1つだったケーキを箱に入れてもらい、それを持ったまま書店といくつかの店を回る。
 自宅の最寄り駅に着いた頃には、6時を過ぎていた。改札を出た途端、凍るような冷たい風が顔に当たり、髪と服を揺らしていく。
 空を見上げると、街灯の明るさの分を差し引いてみても、星はほとんど出ていないようだった。そういえば予報で、夜は雪かも知れないと言っていた気がする。
 奈央子は早足で歩を進め、マンションにたどり着く。なんとか雪が降り出さないうちに帰れたと安心しながら、部屋に入った。
 その時、携帯がカバンの中で鳴り出した。ケーキの箱を慌ててテーブルに置き、折り畳み式の機器を開く。ディスプレイ表示を見て息を飲んだ。
 柊からだった。
 知らず固まっている間にも、呼び出し音は鳴り続けている。はっと我に返り、通話状態にした。
 「————もしもし」
 『奈央子か?』
 ずいぶん久しぶりに間近に聞く、柊の声。名前を呼びかけられてひどく安堵する自分を、奈央子は心の底から感じていた。
 一度深呼吸をして、答える。
 「……うん、わたしだけど」
 『今どこにいる? 家か?』
 「帰ってきたところだけど……」
 『ちょっと待っててもらえるか、今から行くから』
 「え?」



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【5】-5:プラチナリング

 『用はすぐ終わるし、終わったら帰るから。ちょっと会ってほしいだけなんだよ』
 真剣な声音に、次第に緊張してくる。
 「……なに?」
 『駅前にいるから、10分ぐらいで着くと思う。それじゃ後で』
 こちらの質問には応じず、柊は電話を切った。
 ボタンを押すのも忘れ、しばし奈央子は携帯を手にしたまま、立ち尽くしていた。
 ——柊が、今からここに来る。
 全く予期していなかったので、まず心に浮かんだのは、どうしようという焦りの念だった。その後からじわじわと、不安と困惑が胸のうちに広がる。
 同時に感じたわずかな期待は、隅に押しやった。勝手に期待して、その通りにならなかったら、より落胆は激しいものだから。
 ともかく、なるべく落ち着いて応対しないと。
 そう考えた矢先、インターホンが鳴った。出ると予想通り柊だったので、キーを操作し、エントランスの扉を開ける。
 しばらく待つうちに、玄関で再びピンポンと音がする。胸に手を当て、呼吸を落ち着けてから、奈央子はドアを開いた。
 コートの肩や、髪に薄く雪を積もらせた柊が立っていた。どうやら雪が降り始めたらしく、外の冷気は帰ってきた時よりも強くなっていた。
「……とりあえず、入ったら? コーヒーかなにか作るから」
 わずかに逡巡したが、やはり奈央子はこう言う。
 だが柊は首を振った。
 「いや、ここでいい。これを渡したいだけだから」
 と、奈央子の目の前に差し出したのは、小さな紙袋だった。反射的に受け取ってから、袋にプリントされた文字を見て驚く。
 「これって——」
 「中身見て、考えてほしい。返事はいつでもいいから」
 そう言うと、柊はすぐに背を向け、早足で階段の方へと向かった。奈央子は慌てて、紙袋の中の物を取り出し、ラッピングを取り払う。小さな箱の中身を目にして、頭が真っ白になった。
 数瞬後、奈央子は小箱を片手に家の鍵をつかみ、コートを羽織りながら駆け出した。急いで3階分の階段を下り、エントランスの外へ出る。
 柊は、駅の方角へさらに数十メートル進んだところにいた。こちらの呼びかけに気づき、足を止めて振り向く。
 奈央子は、手の小箱を柊に向かって差し出した。
 「……これ」
 「気に入らなかったか?」
 「そうじゃなくて——どうしたの、いったい」
 数ヶ月前、駅ビルで会った時に自分が柊に教えたプラチナリング。箱の中身はそれだった。



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【5】-6:「ありがとう」

 確か、14・5万するはずの品物だ。そんなものをポンと買えるだけの余裕が、柊にあるとは絶対に思えない。
 ああ、と柊はうなずき、
 「バイト増やして資金稼いだ。……まあ、時間短くて実はちょっと足りなかったから、食費削ったりもしたけどな。入荷が間に合うかが心配だったけど、昨日ギリギリで入ったって店から連絡が来て」
 「……どうして、わたしに?」
 その問いに、柊はしばらく黙った。無言のまま、見たことがないほど真剣な表情で、こちらを見つめる。やがて、ゆっくりと口を開いた。
 「瀬尾に、たぶん奈央子は信じるきっかけがほしいんだって言われて、考えた。そのためにどうしたらいいのか。——考えてたら、それのことを思い出した。おまえも、もらえたらやっぱり嬉しいって言ってたこと」
 ……確かにそうは言った。けれどあれはたとえ話で、話のついでに聞かれただけで……
 「おまえが気に入るかどうかはわからないけど、今おれにできる精一杯の表現は、それぐらいしかないと思った。これでダメだったら、もう一度考え直すつもりだけど——」
 柊が、数歩前へ踏み出した。手を伸ばせばすぐに届く距離まで近づく。
「——まだ、信じてもらえないか?」
 ささやくような言葉が、雪花の舞う空間の中に響いた。その響きが、徐々に奈央子の心にも広がっていく。
 胸の奥底にあった戒めが、静かに解けた。頑なに閉ざされたものがゆっくりと開き、何かがあふれてくるのを感じる。
 あたたかなもので心がいっぱいになり、体の中を指先まで満たした。
 ……気がつくと、涙が頬をつたっていた。嗚咽がもれそうになるのを、口を押さえてこらえる。
 柊が、焦ったような慌てたような口調で、
 「あ、っと……やっぱり気に入らなかったか」
 後悔をにじませてそう言うのに、奈央子は泣き顔のまま首を振る。
 「……違う、そうじゃないの。……なんて言ったらいいかわからなくて、つまり……」
 胸の奥に、言葉を探した。いくつも浮かんでは消え、最後に残ったのは、とても単純な言葉だった。
 「ありがとう。——すごく嬉しい」
 奈央子がそう言うと、柊は目を大きく見開いた。
 何回かまばたきをした後、ようやく言葉の意味が飲み込めたかのように表情を和らげる。
 とても嬉しそうな、やわらかな微笑みだった。
 奈央子の手から小箱を取り、蓋を開ける。取り出したリングを、柊は奈央子の左手の薬指に通した。
 びっくりして、思わずまた目を上げる。
 柊は微笑みながら手を動かし、そっと奈央子の涙をぬぐった。その手が、頬に添えられ……ゆっくりと顔が近づいてくる。
 奈央子は自然に目を閉じた。直後、唇のぬくもりが重なる。
 お互い、初めての、恋人としてのキスだった。


                        —終—  


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『ココロの距離』完結にあたって。

『ココロの距離』は、2008年10月31日更新分にて完結いたしました。
初めからお付き合いいただいた方にも、途中から読んでくださった方にも、感謝の一語です。
本当にありがとうございました。

既刊とはいえ、私自身、しばらく通読していなかった作品。
7月の開設以来、更新のたびに、書いていた頃の出来事や気持ちを思い出したりできました。
約4ヶ月、楽しかったです。

せっかく立ち上げたブログなので、できれば今後も活用したいなと考えています。
続編、あるいは別作品をアップしていくか、もっと別の使い方をするのかは、まだ未定ですが。

今年中には方針を決めようと思います。
もし、何かご希望・ご意見がございましたら、コメント欄などにお書きください。
(可能な範囲で前向きに考えさせていただきます)

ここまでお読みくださいまして、あらためて、ありがとうございました。

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