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第5章・1

 「ねえ、先生」
 「……理子ちゃん、こういうとこではそう呼ばないでほしいんだけどな」
 「なんで?」
 「なんでって、……つまり」
 そこで言葉を切り、ずいぶんと困った表情をしてこちらを向いた。わたしは、ことさらに首をかしげて、祐太先生の目をまっすぐに見返す。
 あの日以降、先生と会う頻度は増えていた。
 先生の仕事が早く終わる日——そして茉莉ちゃんが忙しくて遅くなるとわかっている日は、わたしの都合さえつけば必ず会った。
 行き先は、これまでに行ったことのある場所や店より、全然知らないところを選ぶ場合が多い。その中には、時には「こういうとこ」も含まれる。
 最初からそうなったわけじゃない。けれど2度目には、誘うでも誘われるでもなく自然にこの場所まで来て、そんなふうになった。
 あの日以来、会っている時はいつもだけど、ここでは特に、先生は「先生」と呼ばれるのを嫌がる。
 なぜ嫌がるのか、今みたいに理由ははっきりとは言わないけど、なんとなくはわかる。そう呼ばれるたびに、自分の立場と今の状況を並べて考えてしまうのだろう。
 逆にわたしは、困る様子がおもしろくて、わざと呼んだりもするのだけど。
 あくまで無邪気さをよそおって見つめていると、先生は目をそらしてしまった。一生懸命、指に挟んだタバコに集中しようとしている。
 わたしは起き上がり、上半身を一度伸ばしてからベッドから降りた。床に散らばっていた服を拾って身につける。わりとゆっくり、時間をかけていたにもかかわらず、先生は一度もこちらを振り向かないままだった。それも、いつものことだ。
 ホテルを出てからしばらくの間は、手をつないで歩く。わたしからつないだ先生の手は、引っ込められはしないけど、いつもかすかに強張っているのがわかる。
 だからわたしも、人通りの多い駅前通りに差し掛かる前に、自分から手を放す。そうしてもともとの関係、元家庭教師と生徒の顔をして、歩き続ける。おやすみなさいと言って別れるまで。
 そんなふうな逢瀬が、かれこれ1ヶ月近く続いていた。

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