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2009年3月22日 - 2009年3月28日

(2)【5】-6:感情の自覚

 ……夏の『彼女になってくれる?』発言を、冗談ではないのかもいう思いの方が大きくなってきたのは、いつからだったろう——そして、冗談でなければいいのに、と思い始めたのは。
 従弟を意識していると漠然と自覚しだしたのは、『可愛い』と言われたことに加えて、結果的には宏基の同級生の言葉がきっかけだったろうかと思う。それと同時に奈央子と柊への複雑な感情にも気づき始めて、落ち着くまではそちらの方が彩乃の中で重要だったから、芽生えつつあった気持ちに関してはあまり考えてみるゆとりがなかった。
 一人で抱えているには辛かったことを正直に話して、素直に泣くことで、ようやく他を……宏基に対する気持ちを考える余裕が出てきた気がする。
 長いこと、人前で泣いたことなどなかった。たまに泣きたいことがあったとしても、人には見せないようにしてきたのだ。なにか、弱みを見せてしまうみたいで嫌だったから。
 けれどあの時は、気がついたら泣いていた。
 それを恥ずかしいと思いながらも、隣にいるのが宏基であること自体は全く嫌ではなかった。むしろ本当にありがたいと思った——最後まで話を聞いてくれたこと、黙ってなぐさめてくれたことを。
 いつの間に、そんなふうに頼れる……頼ってもいいと思える相手になっていたのだろう。
 宏基への感情が、従弟に対するもの以上になりつつあるのを彩乃がはっきり感じたのは、たぶんその時だと思う。
 最初はそのこと自体に戸惑ってしまったし、宏基の入試や大学の試験といった時期的な問題もあり、直視するのをわざと避けていた面もあった。すでにその時には、夏の発言を冗談だと思う気持ちはかなり薄れていたけど、一抹の疑いはぬぐえていなかった。
 しかし合格した宏基が、あれは本気だと明言したことで、問題は自分の方にもあるのだと気づいた。
 ——宏基は、彩乃の打ち明け話を聞いている。
 全てを話してしまっただけに、こうなってしまうと非常に難しい。失恋のショックで、とりあえず身近な人を好きになったと思われないだろうか。
 そんなふうに思ってしまうのは、彩乃自身にまだ「立ち直った」という自信がないせいなのだろう。試験中、二度ほど奈央子と柊が二人でいるところを見ている時、完全にこだわりが消えたとは言えない心情だったからだ。
 そういう状態で返事をするのは、宏基に対しても失礼な気がした。向こうは真剣なのだから。
 ……けれど、これから先、一緒にいられればと願う、彩乃の気持ちも本物だった。
 正直に伝えて、それでもいいと言ってくれるなら——というのは、やはり都合が良すぎる考えだろうか。
 拒否されてもしかたがない。それに嘘をつくのは絶対に嫌だった。だからそう言うしかない。

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(2)【5】-7:スタンバイ

 一週間前、彩乃は今日のチケットを1枚、宏基に送った。『一日延ばして悪いけど、この日にちゃんと返事するから、終演後にメールするまで待っててほしい』と書いた手紙を添えて。早くきちんと伝えるべきではあったが、コンサートが終わるまでは、落ち着いた時間が取れそうにないと考えたからだった。
 ……別に、チケットを送る必要まではなかったのだが、せっかくだから宏基にも聴いてもらいたいと思ったのだ。
 来ているかどうかはわからない。けれど来ているかも知れないと思うと、妙にドキドキする。自分で呼んだのに、呼ばなきゃよかったかも、などと思ってしまうぐらいだった。
 「瀬尾さん、そろそろスタンバイの時間だよ」
 呼びかけに、物思いから覚めて顔を上げる。先ほどまで控え室にいた数名の部員はおらず、今は彩乃と、声をかけてきた同じアルトパートの3年生だけだった。
 「え、もうそんな時間?」
 「そうだよ、開演まで15分切ったもの……ね、大丈夫? すごく緊張してるみたいだけど」
 「——そんなことないよ」
 「そう? なんか顔がこわばってたから。ソロパートあるからいつもより緊張するとは思うけど」
 「だから大丈夫だって。大丈夫なようにこれまで練習してきたんだし」
 自分を奮い立たせる意味を多分にこめて、極力明るい声で、自信ありげに言ってみる。その点は本当にそう思っているし、彩乃が練習熱心なのも有名だから、不自然には聞こえないはずだ。
 予想通り「瀬尾さんらしいね」と相手は笑った。彩乃も笑顔を返した。……そう、今は別のことに気をとられている時ではない。
 練習の成果を発揮することが第一で、他は全部、それを済ませてからのことだ。
 パイプ椅子から立ち上がり、鏡を見ながら全身をチェックする。サークルであつらえた、揃いのブラウスとロングスカートの衣装にも、化粧にも乱れはない。——準備完了、と心の中で呟く。
 彩乃は相手を促して、舞台袖へと向かった。

 控え室に戻ると、後輩に「お友達が受付に来てますよ」と言われた。衣装を着替えないままで行ってみると、会場である講堂のロビー、そこに設置された受付カウンター(といっても長机を並べただけだが)のすぐそばに奈央子と柊がおり、立ち話をしていた。奈央子には試験が終わる前にチケットを渡し
ておいた。2枚と希望があり、その通りに渡したので、誰と来るのかは明白だった。もっとも、連れは合唱にあまり興味はないらしいが。
 ……まだほんの少し、あの二人を見ると寂しいような辛いような、そんな気分になる。けれど試験中に感じたものよりはマシになっているとも思えた。
 意外に早く、平気になれるかも知れない——そうであれば嬉しい。

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(2)【5】-8:小声の話

 その時、奈央子がこちらを向いたので、彩乃は思いを頭から振り払った。
 「おつかれさま。ソロすごく良かったよー。ね?」
 満面の笑みで彩乃を誉めた後、奈央子は同意を求めて隣の柊に声をかけた。話を振られた当人は頭をかきながら、
 「……んー、おれはそういうのよくわかんないんだけどさ」
 ぼそぼそと、非常に正直な言い方をする。奈央子はその頭を小突いた。
 「あのね、こういう時は素直に頷けばいいの。いくら興味ないからって、上手いか下手かくらいわかるでしょ。それとも何、まさか下手だと思ったの?」
 「そうじゃないけど」
 「なら、素直に誉めなさいよ。彩乃がせっかく頑張ってたんだから」
 小声での会話だが、距離が近いので全部聞こえていた。相変わらずの力関係に、彩乃は思わず笑って
しまう。
 それに気づいた奈央子が慌てて振り返る。
 「ごめん。こいつ気配りが足りなさすぎるよねえ。連れて来なきゃよかったかも」
 「いいよ別に。まぁ、そういうヤツだってわかってるし」
 言いながら睨んでやると、柊はわざとらしく目をそらした。すかさずその耳を軽く引っぱりながら、奈央子は手に持った洋菓子店の紙袋を差し出した。
 「これ差し入れ。サークルの人たちと食べて。多めに買ったから足りると思うんだけど……ねえ、ところで」
 再び奈央子は小声になり、顔を近づけてくる。
 「宏基くんは来てるの?」
 「……わからない。チケットは送ったけど」
 舞台の上から見た限りでは、宏基の姿は確認できなかった。最後の曲が終わって幕が下りるまでの間しか客席を見回していないし、暗かった後方や脇の席までははっきり見えなかったのだが。
 「……もう、返事する期限だよね。ちゃんと考えてあげた?」
 奈央子の気遣わしげな声。2回しか会っていない宏基のことを、親友は妙に心配している。この件に関して(奈央子には説明できないことがあるとはいえ)、曖昧な言い方しかしないせいなのだろうとは思うが。あの日も、どうしようかなと呟いた彩乃に対し、『どうしようかな、じゃないって。あれだけ真剣なんだからちゃんと考えてあげないと』と力説したぐらいだ。 
 当然、言われるまでもなくわかっていた。
 今も細かいことは言えないけれど、真面目に考えたのは確かだったから、奈央子の問いにはきちんと頷く。
 その直後、周囲のざわめきが大きくなった。

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