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2009年3月29日 - 2009年4月4日

(2)【5】-9:花束

 いち早く講堂の出入口に目を向けた柊が、
 「……なんだあれ」
 呆然とした声で呟くのを耳にして、彩乃と奈央子もそちらに顔を向け——同じく呆然とする。
 やたら大きな花束を抱えた、やけに背の高い人物が早足で出入口を入ってくるところだった。ジーンズと薄手のジャケットという服装からすると学生のようだが、顔は花束に隠れて見えない。
 (誰?)という共通意識の視線が集中する中、その人物はロビーを数歩入ったところで、花束の陰からひょいと顔をのぞかせた。途端に、彩乃はその場にひっくり返りそうな心地になる。
 「彩姉、いたんだ。ちょうどよかった」
 「な——」
 なにしてんのよ、と言いたかったが言葉にならない。今ここに現れるとは思っていなかったし、この行動も予想外すぎた。
 彩乃の戸惑いをよそに、相手はまるで動じた様子がない。注目されていることはわかっているだろうに、何なのだろうこの落ち着きぶりは。
 急に腹立たしくなってきた。
 これ、と花束を差し出そうとする宏基の腕をひっつかみ、引きずるようにして出入口から外へ出た。一瞬遅れて奈央子か誰かが呼び止めたように思ったが、それどころではない。
 ともかく人目を避けるため、講堂の裏手を目指して足早に進んだ。誰もいないのを確認して、壁際に身を寄せる。ここなら上階にある控え室の窓からも死角になるはずだ。
 「あんたなにやってんのよ、いったい」
 腹立たしい勢いのまま、詰問口調で言う。
 しかし宏基は全くひるまず、
 「何って、彩姉がチケットくれたから来たんだよ」
 いっそ暢気に見えるほどの落ち着いた様子だ。
 「——そうだけど。メールするから待ってろって書いたでしょ。忘れたっての?」
 「いや、覚えてるけど……待てなかったから」
 「……なにが?」
 どきりとしたが、続いた言葉は思いがけないものだった。
 「感動したって早く伝えたかったから」
 「え?」
 思わずぽかんとする。宏基は息継ぎを一度してから、さらに続けて言った。
 「俺、歌の技術がどうとかはよくわからないけど。だけど、今日の彩姉の歌はすごくよかった……きれいだったと思う。もっと前から聴きに来てればよかった」
 ストレートな誉め言葉に、彩乃は腹立たしさを忘れてしまった。代わりに、ひどく照れくさい気持ちで頭がいっぱいになる。

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(2)【5】-10:「これから?」

 同時に、他の誰に誉められた時よりも、今が一番嬉しいと思った。
 「……ありがとう」
 普通に言おうと意識しすぎて、少々無愛想な声になってしまう。だが宏基は気にした様子もなく、彩乃に笑いかけてくる。ますます照れくさくなってきて、彩乃は少し目を伏せた。その状態で花束を指し示し、
 「で、それは?」
 「駅前で花屋探して買ってきた。あんまり手持ちがなかったから、安い種類まとめ買いした感じなんだけど、とにかく大きいのにしたい気分だったから」
 淡々とした宏基の説明に、つまり感動の度合いを表したかったわけなのか、とは思い至った。しかし聞きたいのはもっと根本的なことである。
 「そうじゃなくて……あのね、あんたってそんなに心臓に悪いことばっかりするヤツだった? 合格発表の時とかも」
 驚かされた恨みを声と視線にこめながら言うと、宏基は意外なほど素直に「ごめん」と返した。
 「そういうつもりじゃないんだけど——いや、びっくりするのはわかってるんだけど、気がついたら体が動いてるっていうか」
 さらに笑みを深めながら、
 「自分でもちょっとびっくりしてる。彩姉相手で、ずいぶん思いきったことできるようになったんだなって。でもそれがなんか嬉しい」
 全く悪びれない、堂々とした口調で宏基は言う。
 ……なんだか、うろたえていた自分の方が子供みたいだ。そんなふうに思わされてしまう。
 「できれば、これからはそういうこと控えてほしいんだけど」
 「これから?」
 口に出してから言葉の含みに気づき、彩乃ははっとする。宏基も同じことを考えたようだった。
 わずかな間の沈黙。
 「——えっと、それでこれ……受け取ってもらえるかな」
 あらためて、宏基が花束を差し出してきた。
 注意深くそれに手を伸ばしながら、彩乃はふと思い出す。
 「なんか、順番が違うよね」
 「え?」
 「あたし、まだ合格祝いも入学祝いも言ってなかったもの。……おめでとう、宏基」
 花束を渡し返す仕草をした彩乃の手を、ごく自然な動作で宏基が押さえた。にわかに表情をあらためる。
 「あのさ、合格祝いよりも言ってほしいことがあるんだけど……今、聞いていい?」

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(2)【5】-11:桜降る頃

 ——ついにその時が来た、と思った。
 彩乃は覚悟を決め、今の自分の気持ちを正直に口にする。話をしている間、宏基は一度も口を挟まなかった。
 「……だいぶマシだとは思うけど、まだ全然気にならないってわけでもなくて。そのうちきっと平気になれるとは思う。でも——そんな中途半端な状態であんたの彼女になりたいっていうのは、失礼だって自分でもわかってる。だけどそれは、奈央子たちのこととは関係ないから。信じてもらえるかどうかわからないけど、あんたに対する気持ちは、ちゃんと考えた上で結論出したことだから」
 そこまで言い終えて、彩乃は息をついた。
 宏基はまだ何も言わない。再び目を伏せてしまったのでわからないが、じっと見つめられているのは感じる。何と言われてもしかたないと思いつつも、もし怒ったりしたらという不安は消せなかった。
 強い横風が、少し離れた位置にある桜の樹から花びらを運んでくる。風の音に重なるように、宏基が何かを言った。「え?」と顔を上げて聞き返す。
 「それだけ、待ってればいいってこと?」
 宏基の声は震えている。興奮しそうになるのを、懸命に抑えているかのようだった。
 「彩姉が、それに関して大丈夫になったら、何も問題ないってことだろ。……俺の彼女になってくれること自体はOKだって。違う?」
 彩乃が首を振ると、宏基は先ほどよりももっと、大人びた顔で笑った。
 「俺、待つのは得意だから。彩姉に好きだって言えるようになるまで何年も我慢したし——彩姉がそのことを気にしなくなるまでつき合う自信あるよ。もちろんその後も」
 それに、と彩乃の顔を覗きこみながら、
 「俺のこと、好きになってくれてるって思っていいんだよな? ……従弟としてじゃなくて」
 間近な宏基の顔に緊張しながら、彩乃は頷く。
 「だったらそれでいいよ。彩姉がそう言ってくれるんなら、多少のことは気にしないから」
 ——多少のこと。
 宏基は笑いながら、実にあっさりと言いきった。
 本当にそう思っていると伝えてくる表情に、彩乃はひどく嬉しくなった。今日初めて、自然に笑みがこぼれる。
 笑った拍子に、花束が重みで腕からずり落ちそうになり、慌てて抱え直す。その時ふっと、突然目の前に影が落ちた——と思った直後、花束ごと宏基に抱きしめられているのに気づく。
 うわ、と一瞬動揺したが、背中に感じられる手のあたたかさに、すぐに離れようという気をなくしてしまった。……しばらくはこのままでもいいかな、と彩乃は頭を宏基の肩にもたせかける。
 先ほどよりも強い風が吹きぬけ、辺りを揺らす。
 散らされた桜の花びらが、降るように二人の周りに舞った。


                          —終—  

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