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2009年7月19日 - 2009年7月25日

第1章・3

 相手は心持ちうつむかせていた顔をぱっと上げ、きょろきょろと見回した後、すぐ後ろまで来ていたわたしにやっと気づいた。
 「……ああ、理子ちゃんか、びっくりした」
 言いながら、何度もまばたきを繰り返す。本当に驚いた顔をしているのは、何か考え事でもしていたせいなのか。呼び止める直前の先生の顔は、やけにぼんやりしているように見えた。
 だいたい、祐太先生と呼ぶのはわたしぐらいしかいないと、普段ならすぐわかるはずなのに。
 そこで、歩道の真ん中に立ち止まっていることに気づき、2人同時に脇に寄る。
 相変わらず、見上げるほどに背が高い。最後に聞いた時は187センチと言っていた。いまだ160センチに足りないわたしでは、間近で向かい合っていると正直、首が痛くなってしまう。初めて会った時からそれは変わらない。
 尾上(おのえ)祐太先生は、わたしの元家庭教師だ。中2からの2年間、受験の直前までお世話になった。
 その後も時々顔を合わせているのは、高校も大学も祐太先生の母校だったから、という理由だけではない。
 「先生、今日仕事だったの?」
 スーツ姿だからと思って聞いてみる。道で立ちっぱなしもなんだからと、近くのベーカリーカフェに移動した後のことだ。先生はうなずいた。
 「明け一番に得意先に持ってかなきゃいけない件があってね。どうにか終わったから、明日からは休めるんだけど」
 「そうなんだ。大変だねー営業マンて」
 「理子ちゃんは、買い物にでも来てたの」
 「ううん、友達と映画。『————』の最新作観に行ったんだけどね」
 と、洋画の超話題作のタイトルを挙げる。
 「ああ、もう観たんだ。どうだった?」
 祐太先生がそう聞いたので、わたしは、つい15分前まで友達とさんざん愚痴っていた内容を繰り返し始めた。
 「それがねえ、なんかすごく期待はずれで。監督が前の人と違っちゃったせいなのかな、キャラ設定とか全体の雰囲気もだいぶ変わっちゃってて、あちこち違和感ありまくりで、面白いと思いようがなかったの。それにね——」
 わたしが勢いよくまくしたてた感想に、祐太先生は目を丸くしつつも笑った。
 「そっか。会社の奴が観に行きたいって言ってたけど、やめとけって言ってやる方がいいかな」
 「うん、前のが好きな人にはおすすめしない。あえて前を比べてみたいって意見なら別だけど」
 そう言っとく、と先生が請け負ったところで話が途切れ、1分ほど、自分のチョコクロワッサンとアイスゆずジュースを減らすことに専念する。
 先生は何も言わない。
 コーヒーをすすりながら目を伏せている様子は、何か考え込んでいるかのようにも見える。カップをテーブルに置いてからも、口を開く気配はない。
 だから、わたしの方から聞くことにした。
 「ねえ先生。茉莉ちゃんには最近会ってる?」
 その途端、祐太先生の眉が動き、口元が引きつったのが見えた——ほんの少し、ほんの一瞬だけ。

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