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2009年2月8日 - 2009年2月14日

(2)【3】-8:不可解な様子

 宏基の乗ったバスがK大前停留所に着いたのは、1時少し前だった。
 平日だが、すでに3年生は早めの期末試験期間に入り、今日が最終日である。その足で宏基は、最終的な下見のためにK大へと向かった。昨日受験票が届いたので、試験が行われる建物とかバスの時間を確認しておこうと思ったのだ。
 来週からは自由登校扱いになるので、来月上旬の試験日までにはまだ時間的余裕はある。けれど今日行くことにしたのは、早いうちに済ませておこうと思ったのと、大学も今日までが講義期間だと彩乃から聞いていたからだった。
 つまり、彩乃の顔を見たかったのだ。
 実は初めて待ち合わせもしている。彩乃は3時限目が空きで2時半過ぎまでは暇があるというので、宏基の試験が終わってからの時間を考えて、1時過ぎにと約束をした。
 少々……いや、わりと緊張している。
 電話で話すのはずいぶん慣れたが、直接会うとなると、いまだになんだか落ち着かない。表情や口調には出さないように最大限努力しているが、努力が実を結んでいるのかは正直よくわからなかった。
 正月に会った時にも、彩乃は時折不審そうな目でこちらを見ることがあった。そのたびに平静さを保とうとしていたが、果たしてうまくいっていたのかどうか……見送ってもらった時、彩乃に妙に意味深な目で見られて、我慢している台詞が思わず口に出そうになったけど、なんとか別の言葉に替えられて安堵した。
 ——もう一度自分の気持ちを伝えるのは、K大に合格してから。宏基はそう決めている。
 正門のところでいったん立ち止まり、ゆっくりと深呼吸をした。そうして目の前に見える、垣根に囲まれた広い芝生へと向かう。
 彩乃との待ち合わせ場所は芝生の中、正門に一番近い側のベンチと聞いている。該当する左右1つずつのうち、左側で彩乃はもう待っていた。
 近づいて声をかけようとして——数歩足を進めたところで止まってしまう。
 彩乃の様子がおかしい。
 膝の上に雑誌を広げ、それに目を落としてはいるけど、文字を追っている様子はない。同じ一点を見つめたまま、微動だにしないでいる。その、完全な無表情としか言いようのない顔を、宏基は2回見たことがある。けれどどちらの時も、今ほどに空っぽな感じではなかった——
 その時、学生が投げたフリスビーのディスクが、狙いをそれて彩乃の方へと飛んだ。誰かがあっと叫ぶ声で彩乃は我に返ったらしく、寸前で頭に当たりかけていたディスクを避ける。宏基はほっとした。
 直後、彩乃がこちらに気づいた。立ち上がり、垣根にぶつかって落ちたディスクを頭を下げる学生に返してから、宏基の方へ歩いてくる。
 「来てたの? なんで声かけないのよ」
 「……いや、ほんとに今来たところだし」
 「そう? まぁいいけど。んじゃ行こうか」
 何号館だっけ、と聞きながらも彩乃はすでに足早に歩き始めている。宏基は慌てて追いかけた。

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(2)【3】-9:ぎこちない笑顔

 目当ての3号館は、9月に彩乃たちと会った場所に近く、すぐにわかった。その後「お昼まだよね」と聞く彩乃に連れられ、学内にあるステーキ料理店に入った。従姉がランチを二人前注文してから壁のメニューに目をやり、1200円という値段を見て驚いた。前にもおごってはもらったが、その時は普通の学生食堂であり、4・5百円ほどの定食だったからだ。
 なんで、と尋ねる宏基に、従姉は笑いながら受験前の激励だと答えた。その後も彩乃はやけによく笑い、料理が運ばれてきてからもよくしゃべり、肉や野菜の焼き加減まで指導してきた。
 確かにランチはおいしかったが、ゆっくり味わえたとは言えない。彩乃の様子が——明らかに、必要以上に笑顔でいようとしているのが、どうしても気になってしかたなかった。
 食事を終え、店を出たのは1時40分過ぎ。宏基は携帯の時計表示でそれを確認しながら、彩乃と並んで学生会館の廊下を歩く。4月の入学式翌日に行うという合唱サークルのコンサートについて話していた彩乃の言葉が、ふと途切れた。
 宏基はその隙を逃さなかった。
 「彩姉、ちょっと聞きたいんだけど」
 「ん?」と顔を上げた彩乃に、
 「今日なんかあったの?」
 間髪入れずに尋ねた瞬間、彩乃の笑顔がこわばった。しかしすぐに表情を整え、
 「別に。いきなりなに言うのよ」
 そう返してくるが、どう見ても笑顔はぎこちなく不自然だった。宏基は畳みかけて聞いた。
 「奈央子さんに関係すること?」
 今度こそ、彩乃は固まった。笑いが瞬時に消え、宏基を見上げる目は信じられないといったふうに見開かれている。
 「……なんで」
 ひどく呆然とした声音に、やっぱりそうなのかと宏基は思った。先ほどの空白の表情——あれに近い顔を見たのは2回とも、彩乃の親友の沢辺奈央子、そしてその彼氏のことを話していた時だった。だから、あの二人に関して何か、よほどの出来事があったのではないかと、ほとんど直感で思ったのだ。
「なんとなく——あの人の話をする時の彩姉って、いつもちょっと変だったから」
 正直に説明すると、彩乃はさらに目を見開いた。建物を出たところで立ち止まったまま、うつむき押し黙ってしまう。
 わずかに逡巡したが、思い切って宏基は言った。
 「あのさ、誰にも話したくないことかも知れないけど……一人で我慢してたら辛くない? 今の彩姉、ものすごく辛そうに見えるよ」
 ぴくりと彩乃は肩を揺らしたが、答えない。宏基は勢いで続けた。
 「もし、彩姉がよかったら……俺でもかまわないと思うんだったら、聞き役になるから。長くなってもちゃんと聞くから」
 そこまで言い終えて、彩乃の答えを待った。断られてもしかたないと思いつつ、主観的には長い(後で時計を見たら1分程度だった)沈黙を耐える。
 やがて、彩乃が再び顔を上げ、意識しているのかいないのか、すがるような目で宏基を見た。
 反射的にどきりとする。
 「……聞いてくれる?」

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(2)【3】-10:従姉の本心

 彩乃の言葉にいくぶん驚きながらも、はっきりと頷いた。従姉は身振りで、宏基を学生会館前にある広場へ導く。
 気持ちよく晴れてはいたが、1月下旬である。時折吹く冷たい風のせいもあってか、いくつかあるベンチに人の姿はなかった。彩乃は近くの自動販売機で買ったココアの缶を手に、宏基には缶コーヒーを渡して、冷えたベンチに腰を下ろす。
 そうして、ぽつぽつと話し始めた。親友カップルが「ようやく」一線を越えた関係になったこと、それを聞いて嬉しいはずなのに素直にそう思えなかったこと——その理由が嫉妬らしいと気づいてひどく動揺したこと。
 「……あの二人、誰が見ても仲いいんだけど、そういうことには縁遠かったっていうか——一緒にいるだけで嬉しいって考えてる、今どき中学生でもなかなかいないみたいな、初々しすぎる感じで。でもそれでほんとに幸せそうだったから、あたしもほとんど気にしたことなかった——けど」
 彩乃は両手で挟んだ缶をぎゅっと握りしめた。プルトップはいまだ開けられていない。
 「いつかはそうなるだろうって思ってたし、早くそうなればいいとも思ってた。……なのに、実際に聞いたらなんか、妙にショックで……急に現実感ともなったっていうか、変に生々しい感じがしちゃったっていうか……それに、奈央子に焼きもちみたいな気持ちまで感じたりして。今までそんなこと一回もなかったのに」
 たぶんそれは厳密には違うだろうな、と話を聞きながら宏基は考えた——複雑な思いとともに。
 本人が気づいていないのかも知れないが、彩乃の中にはずっと、親友に対する嫉妬心があったのだろう。それが今日のことで表面化したというだけで。
 原因はこの場合、奈央子の「幼なじみの彼氏」としか考えられない——つまり、彩乃もその人物のことが、自覚しないながらも好きだったのだ。顔も知らない相手に、宏基はしばし強い嫉妬を感じた。
 好きだったからこそ、二人が深い関係になったと聞いてショックを受け、親友である奈央子に嫉妬した。自分の中の思いを押し隠しながら、宏基は注意深く口に出してみる。すると意外にもあっさりと、彩乃は「そうかもね」と返した。
 「中1の頃、好きになりかけてたのは確かだし……すぐに諦められたと思ってたのに、そうじゃなかったってことかなぁ……」
 後半を呟くように言い、再び沈黙する。手にしたココアの缶は開けられないままで、たぶんもう冷めてしまっただろう。宏基は新しいのを買いに行こうかと考えつつ、いったん彩乃から視線を外して——振り返って目にしたものに、心臓が飛び出すような思いをさせられる。
 彩乃の頬に、一筋の涙がつたっていた。泣いていることに気づいていないのか、従姉は缶を握りしめたまま、涙をぬぐおうともしない。
 代わりにぬぐってやり、抱きしめたい衝動に宏基はかられた。いや、半ばそうしようとして右腕を伸ばした……それから人目があることを思い出した。多い人数ではないが、場所柄、遠くないところを絶えず誰かが行き来している。
 けれど伸ばした腕を完全に引っ込めてしまうこともできない気分で……結局、遠慮がちに彩乃の左肩に手を置き、軽く叩いた。
 彩乃は驚いた顔で宏基を見ながらも、手を振り払いはしなかった。慌てた仕草でようやく頬や目元をぬぐうが、また新しい涙が生まれては流れ落ちる。
 それがおさまるまで、宏基はなだめるように彩乃の肩を叩き続けた。通り過ぎる通行人の視線は感じたが、もう気にはならなかった。

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