« 2009年2月15日 - 2009年2月21日 | トップページ | 2009年3月1日 - 2009年3月7日 »

2009年2月22日 - 2009年2月28日

(2)【4】-4:同日夜

 同日夜。
 自宅アパートの部屋で一人、彩乃は考えていた。
 ……思い出すごとに、今日は恥ずかしいことをしてしまったという思いが強まる。
 あの後、4時限目に語学の講義があったのを忘れていたわけではなかった。語学はおしなべて出席にチェックが入るから、遅刻したらまずいのだが、なかなか涙が止まってくれなくてまいった。
 あんな人目のある場所で泣いてしまって——その上、隣には宏基がいた。私服であっても間違いなく目を引くであろう従弟が制服姿で、おまけに、泣いている彩乃をなぐさめるために寄り添った状態で。通行人その他の視線という視線が注がれていたのは嫌というほどわかっていたが、ともかく涙を止めようとするのに必死で、すぐには立ち上がることができずにいた。
 ようやく落ち着いて、化粧室の洗面所で腫れぼったい目をなんとか冷やした頃には、もう2時半を回っていた。廊下で待っていた宏基とは、挨拶もそこそこに別れてそのままだ。
 何も言わずあやふやに別れてしまったのがひどく落ち着かない気分だったが、しかし今から電話したとして、何と言えばいいのか……自分が何を言いたいのか、考えがまとまらない。
 常識的に考えれば、話を聞いてもらったお礼と、泣いてしまったことの謝罪だろうとは思う。けれどどちらも——特に後者が、どうにも恥ずかしくて、素直に口に出せそうにない。
 そもそも何故、宏基相手にあんなことを話して、あげくに彼の前で泣いてしまったのだろう。
 奈央子に対する複雑な気持ち——それを全く自覚していなかったかと言えば、そうではない。薄い影のように、いつだって心の片隅には存在していたのだ。
 けれど奈央子を好きな気持ちの方が強かったし、よくできた親友へのささいな反感に過ぎないと思っていたから、思い悩むほどに気にしたことはなかった……最近までは。
 柊に対しても同じで——いや、この気持ちについてはもっとわかっていなかった。なにしろ自覚がなかったのだから。確かに好意は感じていたけれど、それは親友の好きな人として見ているからだと……特別な相手としての気持ちは中1の時点で断ち切ったと思っていたのに、今の今までしつこく残っていたなんて、自分でも知らなかった。
 どちらもひどくもやもやした、そのくせ嫌に重たい感情で……誰にも言いたいとは思わなかった。口に出したら、それが自分の中で確定してしまって、どうしようもなくなる気がして。
 ——2時限目の後、最初に顔を合わせたのが宏基で、よかったのかも知れないと今は思う。どういうわけか従弟は、2度しか話題にしていない奈央子たちに関して、彩乃自身把握しきっていなかった心を察していたかのように看破してきた。そんなにも外から見てわかりやすかったのだろうかと驚いたが、考えてみる限り、他の誰かと同じ話題をしていて変だと指摘された記憶はなかった……つまり、宏基がそれだけ彩乃の様子をよく見ていたということなのだろう。

| | コメント (0)

(2)【4】-5:会いたい

 もっとも、そう思ったのは時間が経ってからのことだ。その時は驚きとショックでいっぱいになり、ただうろたえた。そして『一人で我慢してたら辛くない?』と言われて初めて、心の中が爆発寸前になっていることを認識した。
 このまま一人で抱えていたら、きっとあの二人のことを嫌いになってしまう……今でも間違いなく、幸せになってほしいと思う大切な二人なのに。けれど本人たちに言えることではないし、他の友人もほとんどが二人を(間接的にせよ)よく知っている人ばかりで、今さらこういうことは話しづらい。
 条件的にも状況的にも、宏基に話すのが一番差し障りがないと思った。1秒でも早く、重すぎる心を少しでも軽くしてしまいたかった。
 従弟は言葉通り、彩乃の話を辛抱強く聞いてくれた。口に出すことで、意外にも自分の中で気持ちの整理が徐々に行われ、見えていなかったもの、見ていなかったものの形がはっきりとしてきた。そして奈央子への嫉妬心と柊への思いを第三者から初めて指摘された時、心に張りめぐらせていた覆いが最後まで取り払われて消えていくように感じた。予想もしなかったような楽な感覚だった。
 気がつくと涙が出ていて、先に気づいた宏基が、彩乃の肩に手を置いていた。遠慮がちに、けれど確かに彩乃をなぐさめるために、何度も肩を手のひらで叩いた——優しさをこめた仕草で。
 そうされて、さらに心が安らいだ。余計に涙が止まらなくなったのは困ったけど、嬉しかったのだ。
 どうして、あんなに安心できたのだろうと考えてみて……行き着く答えが限られることに気づいて、彩乃は別の戸惑いを覚え始めている。
 そもそも、奈央子たちへのそういう感情に気づくようになったきっかけは、宏基を意識し始めたことだったと思う。長い間、特定の異性を気にしたり、ましてや特別に考えたりすることがなかった。その一因は柊への想いが根底にあったことだと今ではわかるが、無意識に眠らせていた感情が今になって目覚めたのは、時期的に、宏基の言動に心を揺さぶられたのが要因だとしか思えない。
 ——会いたい、と唐突に思った。
 宏基の顔が見たかった。
 電話をしたら来てくれるかも知れない、と携帯に手を伸ばしかけて……寸前で思いとどまった。
 (なに考えてんの、あたし)
 自分がしようとしていたことを思い浮かべて、頬が熱くなる。第一、電話するのなら今日のことを謝るべきだ。けれど声を聞いたが最後、会いたいと口走ってしまいそうで……
 部屋の時計を見上げると、もうすぐ日付が変わるところだ。彩乃は言い訳を見つけて安堵した。こんな時間に、まして入試を10日後に控えた相手に、電話なんかするものではないと。
 そう自分に言い聞かせながらも、宏基に会いたいという気持ちは、その日眠りにつくまで彩乃の中でくすぶり続けていた。

| | コメント (0)

(2)【4】-6:入試3日前

 2月上旬——K大入試3日前。
 あと3日で今後が決まるわけだと宏基は思う。合格発表はさらに10日ほど後だが、試験がどれだけ解けるかが問題なのだから。念のため他の大学もいくつか受けるが、正直それらへの関心は薄かった。
 相当に頑張ってきたつもりではあるが、100パーセント合格の自信があるわけではない。ここまで来たら後はせいぜい、苦手分野の問題が少ないことを祈るぐらいしかなかった。
 急に落ち着かない気分になってきて、シャープペンシルを机の上に放り出す。部屋を出て、台所で片付けものをしている母親に声をかけた。
 「ちょっと、コンビニ行ってくる」
 「え、こんな時間に? もう11時過ぎてるわよ。勉強は?」
 「気分転換。すぐ帰ってくるから」
 外へ出ると、肌を刺すような鋭い冷気が、一気に顔の表面から熱を奪った。それを心地よく感じながら、宏基はマンションの階段を降り、歩いて10分ほどのコンビニエンスストアへと向かう。
 缶飲料と雑誌を買って店を出たものの、そのまま家へ戻る気にはならなかった。すぐに帰ると母親に言った手前、あまり遅くなるわけにもいかなかったが、少しだけのつもりで方向転換し、近くの公園に足を向けた。
 住宅街の中の小さな公園には、当然ながら誰の姿もない。敷地の隅にあるベンチに腰を下ろし、夜空を見上げた。街灯のせいもあるが、今日はかなり曇っていて、ほとんど星は見えない。満月か新月か知らないが月も隠れている。
 先ほど買った缶コーヒーを飲みながら、宏基は考えた——3日後の入試ではなく、彩乃のことを。
 あの翌日、携帯に従姉からメールが届いた。
 『昨日はごめん。入試がんばって』だけの短いものだった。安心すると同時に、少しの物足りなさも感じた。
 泣きやんだ後、講義に行くために『急がないと。じゃあね』とだけ言って別れた彩乃が気になりつつも、電話できずにいた——自分ではなく彩乃が、今は気まずいのではと考えたりして。だからメールが届いた時は嬉しかったのだが、簡素な文面を物足りなく思ったのも確かだ。
 何か、もっと違う反応を期待していたのだろうか……いったい何を期待していたんだ、と自嘲ぎみに思ってしまう。

| | コメント (0)

« 2009年2月15日 - 2009年2月21日 | トップページ | 2009年3月1日 - 2009年3月7日 »