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第6章・5

 3月の初め、茉莉ちゃんは会社を辞めた。
 より正確に言うなら、引越し予定先の近くにある関連会社に、出向という形での勤務が認められた。どうしても茉莉ちゃんを手放したくなかったらしい上の人たちが、便宜を図ってくれたようだ。
 さらに半月後、籍を入れてから間を置かず、二人は転勤先へと越していった。空がどこまでも青く澄んだ、よく晴れた日に。
 夏にでも遊びにいらっしゃいね、と別れ際に茉莉ちゃんは言ったけれど、十中八九行くことはないだろう。夏にもその先にも。
 自分から、二人に会いに行くつもりはなかった。少なくとも当分の間は。

 茉莉ちゃんと先生が不在の日々は、思っていた以上に穏やかに、そしてこれまでと同じように過ぎていく。
 違うのは、二人が身近にいないことだけ。
 両親にもほとんど変わりはないけれど、心なしか先生や、そしてわたしに対する言葉や態度のトゲは減ったような気もする。家で3人になってからあまり会話をしていないとも言えるけれど、口にしなくなっただけでも、あの人たちにしてみれば珍しい変化だった。
 茉莉ちゃんが遠くへ行ったことで、ある意味気持ちが切り替わったというか、折り合いをつけられる部分が、あの人たちなりに増えたのかも知れない。
 それはそれで良い変化だと思う。
 ほんの少しであっても、両親が二人のことを、表面上だけでなく認めるようになってくれたのなら、その方がいいに決まっているから。

 その年の間、二人に会うことはなかった。電話は茉莉ちゃんからよくかかってきたけれど、そのたび「忙しくてまとまった休みが取れない」と言っていた。結婚式さえ翌年に先延ばしになるほどに。
 先生とは、電話でもいっさい話さなかった。
 次に話をする、顔を見るのはおそらく、茉莉ちゃんが里帰りする時。まだしばらくは帰れそうにないらしいから、そうなる頃にはもしかしたら、子供が生まれる予定が追加されているかもしれない。
 それだけ時間が経っていれば——そのぐらい大きな変化が起こった後なら、たぶん、なんとか普通に会うこともできるだろうと思う。

 区切りはつけられても、当然だけれど、忘れてしまえるわけではない。今までの想いも、これまでの出来事も。
 目を閉じればいつでも、今はまだ何もかも鮮やかに、まぶたの裏に浮かべることができる。
 それら全部に対して、もっと冷静でいられるようになりたい。悲しさやせつなさが生々しい時もある今だから、強くそう思う。
 わたしにはもう何のこだわりもないと、誰が見ても……先生にさえ思わせるぐらいの態度で会えるようになりたいと、心から願っている。
 どんな関係になっても、絶対に手の届かない存在であっても、二人が大切な人たちであることに変わりはないのだから。

 最近、晴れている日は、必ず空を見上げている。
 遠くの空の下にいる、二人のことを思いながら。
 そうやって青い空を見ていると、時々、ふいに涙が出そうになってしまう。
 そんな時はまぶしいからだと自分に言い訳して、わたしは目を閉じるのだった。湧き上がった感情と思い出が、心の底に沈んでいくまで。


                             —終—  

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