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『リスタート』(9)

 彩乃と別れてから、すぐに奈央子にメールを打った。話したいことがある、遅くなってもいいから今日は部屋に来てほしいといった内容で。
 驚いたことに、10分もしないうちに返信が来た。届いたメールを開くと、こちらも話すことがあるから行くつもりだった、帰りが何時になるとしても待っているというふうに書かれている。
 文面を読んだ途端、一瞬だが決意が萎えかけた。奈央子の「話すこと」とはいったい何だろう、と考えるとつい、悪い想像が浮かんでしまう。きちんと話をして、不安が自分の思い過ごしなら、今度こそ結婚について切り出すつもりだった——しかし思い過ごしでなければ、その決心も意味のないものになってしまう。恐怖心がよみがえってきた。
 だが、今ひとりで考えていてもしかたない。そう無理やり割り切るまでにしばらくかかった。
 それに先ほど、どんな結果になっても受け入れると、覚悟を決めたはずだ。携帯を閉じ、その場に立ち止まって深呼吸をする。ほんの少しでも気持ちを落ち着かせるために。
 幸いにというか、会社へ戻った後は残業の必要もなく、ほぼ定時で退社できた。最寄り駅までの道中に再びメールを送り、これから帰ると報告した。
 その後は脇目も振らずマンションへ急ぐ。普段は約1時間の道のりが、45分ほどに短縮された。
 部屋に着くと、予想通り奈央子が待っていて、柊を出迎えた。すでに7時近いが、見たところ夕食の準備は全くされていない。
 それどころではないほど重大な話があるのだろうと思い、また怖じ気づきそうになる。奈央子の何か思いつめたような固い表情が、予感にだめ押しをしているふうにも見えた。
 スーツの上着を脱いだのみで、ダイニングの椅子に座る。先に座っていた奈央子が顔を上げてこちらを見たが、すぐに目を伏せてしまった。テーブルの上で組み合わせた自分の手をじっと見つめている。
 沈黙がしばらく続いた後、再び奈央子が、今度は思いきったように勢いよく顔を上げた。そして口を開きかける。そのわずかな間に、タイミングを見計らっていた柊は割り込んだ。
 「あのな、奈央子——なんていうか、おれ、今までおまえにすごく甘えていたと思う」
 話し始めるタイミングを奪われたのと、話の内容の唐突さに、奈央子は少しの間憮然とした面持ちになった。しかしその表情は何度かまばたきする間に消えて、相手の話をひととおり聞くための真面目な顔つきへと変化する。
 それに背中を押される心地で、柊は話を続けた。
 「……気づいてないわけじゃなかったけど、深くは考えないようにしてた。正直、奈央子が甘えさせてくれるのが気楽だったから。……けど、逆におまえが甘えてきたことって、考えたらほとんどなかったよな」
 単なる幼なじみと思っていた頃から、柊が奈央子に相談したり愚痴をこぼすのはよくあることだったが、その逆は数えるほどしか記憶にない。それも、本人から言い出した場合となると皆無に近かった。

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