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2010年5月2日 - 2010年5月8日

『桜、夕立ち、若葉の頃』(3)

 反射的に発した呼びかけに、二人が同時に振り向く。まともに見つめられてやけにどぎまぎしたが、言いたいことは言えた。
 「ね、一緒に帰っていい?」
 「え、いいけど。家どのへん? Y町? じゃあ、途中まで一緒だね」
 というわけで、一人で帰るはずだった道を、思いがけない相手と連れ立って帰ることになった。奈央子を真ん中に左側に自分、右側に柊という位置で。
 彩乃が会話の輪の外にならないよう、奈央子はまめに気を遣ってくれた。とはいえ、幼なじみ二人の話が中心になるのはいたしかたないことで、けれど彩乃は決して、それが退屈でも不満でもなかった。
 さっきと同じように、二人のやり取りを聞くのは面白かったし、実を言うと、奈央子の頭越しに柊の表情を見られるのも楽しかった。
 入学式の日に初めて見て以来、彼はちょっと気になる存在だった。だから少し緊張もするが、奈央子がクッション役になってくれているから、今の距離感は近すぎず遠すぎずでちょうどよかった。
 実際には末っ子ながら、性格面では長女タイプの彩乃は、年の離れた兄姉よりもしっかりしていると言われたことも一度や二度ではない。そんな彩乃から見ると周りの男子はいかにも子供っぽくて、2つ年下の従弟と変わらないなと感じてしまう。
 けれど羽村柊に関しては、ちょっと違う。言動が子供っぽいと思う時が多いのは同じなのに、なんというのか……そういう行動を見たり言葉を聞いたりしても、他の男子に対するようにあきれた気持ちにはならない。
 どうしてかはわからないが、逆に、もっと見ていたいし聞いていたいと思うのだった。休みなく変わる彼の表情や、無邪気きわまりない明るい声を。
 心地よくわくわくする時間は、Y町との分岐点よりずっと手前の交差点で、唐突に終わった。「あ、こっからは一人で帰れるから。じゃな」という一声で、柊が走り去ってしまったからである。
 はいはい、と慣れた様子で奈央子が手を振っている。交差点を渡る手前で立ち止まったまま。彼の背中が角を曲がって見えなくなると、ふうとため息をついた。
 「家、近所じゃなかった?」
 さっきの会話の中で、同じ町内だと言っていたはずだ。だからこんな、中途半端な場所で別れるのを意外に思った。「うん、そう」と肯定してから、奈央子は苦笑いを浮かべる。
 「けど、わたしと一緒に帰ったのがバレたら格好悪いんだって。お母さんとかお姉さんにいろいろ言われるから」

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『桜、夕立ち、若葉の頃』(4)

 「へぇ、お姉さんいるんだ羽村くん。あたしも5つ上のお姉ちゃんいるよ」
 「そうなんだ。いいなあ。わたしは兄弟いないの、だから」
 そこで奈央子は、先が続きそうだった言葉を途切らせる。少し考える仕草をしてから、こう聞いた。
 「瀬尾さん、もし時間あるなら寄り道しない? もうちょっと話したいなーって思うんだけど」
 彩乃も同じ気持ちだった。なので、そこから一番近いスーパーに入りアイスを買って、外のベンチに並んで腰を下ろした。時刻は5時を回っていたけどまだ明るいし、4月下旬に近い今日はかなり暖かくもある。それから家族の話題を中心に、30〜40分話をした。
 沢辺奈央子は見るからに真面目で控えめだし、実際、教室でもそういう振る舞いしかしていないように見えていた。けれどその認識は間違いだったんだなぁ、と彩乃は思った。彼女は結構よくしゃべる。決してうるさい類ではなく、ひとつの話題から別の話題へと広げていくのがうまい。彩乃も、ついついその波に乗ってしまい、時には自分から波を作り出し、元の話題が何だったのかわからなくなることもあった。
 「そうそう、……あれ、何の話だったっけ」
 彩乃が問うと、奈央子はしばし首を傾げて「えーと、兄弟の話の途中かな」と答える。
 「あ、そうか。うちのお兄ちゃんの話だっけ。今年20歳になるからって何かと偉そうなんだけどさ、けっこう抜けてるとこあるの。こないだなんかお姉ちゃんのお弁当と自分のを間違えて、すごい可愛いお弁当箱袋だったから笑われたって。だったらカバン入れる時に気づけってのよねぇ」
 その時の兄の様子を思い出してため息をつくと、奈央子は声は控えめながらも、とてもおかしそうに笑った。
 「あーなんかわかる、柊もそういうとこあるから。だからくーちゃん、じゃなくて、お姉さんにしょっちゅうネタにされてる」
 「お姉さんて、どんな人?」
 「うん、めちゃくちゃ頭いい人。弁護士目指してるんだけど、あの人だったら絶対なれると思う。それにすっごい綺麗でね。憧れてるの」
 そういう奈央子自身も、将来は相当の美人になるに違いない可愛らしさだし、勉強も、小テストの結果といい授業中の的確な受け答えといい、よくできる方のはずだ。その奈央子がこんなふうに、どこか熱を込めて語る、柊の3歳上の姉とはどんな人なのだろうか。気になってしかたない。
 「そんな綺麗な人なの? 今度写真見せてよ」
 「いいよ、なんなら、明日にでもうちに来る?」

 そんなふうにして、奈央子との友情は始まった。


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『桜、夕立ち、若葉の頃』(5)

 4月終わりの朝、予鈴が鳴るまでにはまだ余裕のある時間。
 「おはよう、瀬尾さん。昨日借りた本返しとくね」
 「え、もう読んだんだ、早いなぁ。どうだった?」
 「おもしろかったよ。でも映画とはだいぶ違ってるんだね。特に途中の」
 と奈央子が言いかけたところで、横から割り込んでくる背の高い影。
 「なおこー、ちょっとここ教えてくんない?」
 「数学? ……ってあんた、ここ今日当たるって言われてたとこじゃないの。なんでやってないのよ」
 「忘れてたんだよ、バスケ部毎日遅いしさあ、思い出したの昨日寝る前だし」
 「じゃあくーちゃんに聞けばよかったじゃない」
 「冗談、姉貴に聞いたらなんて言われるか想像つくじゃん。自分の責任だっつって教えてくんねーよ」
 「……まあ、ね」
 その光景を思い出すように首を傾げ、頬に手を当てて奈央子はうなずく。柊の姉の名前が公美で、子供の頃から妹みたいに可愛がられている奈央子が彼女を「くーちゃん」と呼んでいるということは、すでに聞いていた。
 「だからおまえにしか聞けないんだよー、頼むよ」
 「しょうがないわね、どこがわかんないの。え、ここ? だったらこの公式を使えばすぐじゃない」
 「あ、そっか、その手があったか。サンキュ」
 あからさまに安心した表情になり、そして来た時と同じように柊は唐突に去っていく。
 「……その手も何も、前の授業で習ったばっかりだっての、もう」
 彼が自分の席に戻るのを見ながら奈央子がぼそりと言う。親しくなってからの半月、こんなやり取りをほぼ毎日目にしている。彼女たちと同じ小学校だったクラスメイトによれば、その頃から日常茶飯事だった光景らしい。柊は決して頭が悪くはないのだけど忘れっぽすぎて困る、というのは奈央子の弁である。
 確かに、授業で出たことをその時間中に確認したりするような質問では、柊はちゃんと正しく答えている。理解力がないわけではないのだ。
 「真面目にやろうと思えば、できるだろうにね」
 「そう思うけど、面倒くさがってやろうとしないんだよね……それでどれだけわたしが迷惑してるか、全然わかってないし」
 はあ、と顔をしかめてため息をつくけれど、実は表情や言葉ほどに奈央子は迷惑がっていないんじゃないか、と彩乃は思っていた。それはもう、彼女と友達になって数日のうちに。

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『桜、夕立ち、若葉の頃』(6)

 親しくなってみると奈央子はとても気さくで、成績や外見の良さを鼻にかけるような、気取ったところはまったく持ち合わせていない。そんな彼女が、普段よりも厳しい物言いをするのは柊に対してだけで、口調まで姉が弟に対するようになる。
 それを指摘したら、奈央子自身は気がついていなかったようで、ちょっと沈黙してから「たぶんお姉さんの影響かな」と言っていた。羽村姉弟と生まれた時から付き合ってきた奈央子にとっては、彼らは影響力の大きな存在であるらしい。
 自分の席で問題を解いている柊を見る奈央子は、まだどこか心配そうな目をしている。出来が悪くて手こずるけどどうしても見捨てられない、と言っているかのようで、そういう様子はやはり姉っぽいなと思った。
 そういった、姉弟的な意識のない彩乃が見ても、羽村柊には放っておけないものを感じる。誰が見てもそうなのか、自分が彼を少し気にしているからなのか——そういうところも含めて好意を感じかけているからなのか、それはわからないが。
 そこまで考えて、ふと、もう一度奈央子を見た。
 なぜかさっきとは目に浮かぶ感情が違うように見えて、もやもやした気持ちになる。数秒の後、その靄が一気に晴れる想像に思い至った。
 「沢辺さん、もしかして」
 「え?」
 呼びかけに、夢から覚めたような表情で振り返る奈央子を見た瞬間、確信してしまった。だが口に出すことにはためらいを覚えた。
 「ごめん、何か言った?」
 今の呼びかけもまともに耳に入っていなかったらしい奈央子は、自分がどんな表情をしていたかも、きっと気づいていない——口元の優しい笑み、初めて目にするようなせつなげな眼差し。本当にかすかな表情だったから、よく見ていなければきっとわからなかった。
 けれど、見てしまったら気づかないわけにはいかない、そういう表情。
 「……瀬尾さん?」
 「ううん、ごめんね。なんでもない。それで、本の話だけど」
 わざと違う話題を振ったのは、確信しても、追及する気になれなかったから。少なくとも今は。
 奈央子は、まず間違いなく、柊が好きだ。幼なじみ、もしくは姉弟のような親愛以上の気持ちで。

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『桜、夕立ち、若葉の頃』(7)

 気づいた瞬間は意外に思えたものの、考えてみれば納得のいくことでもあった。彩乃が好感を感じるのだから、他の子が同じでもいっこうにおかしくない。まして奈央子は、誰よりも長く、近いところで柊を見てきている。……そのことに今、かすかだが確実に、嫉妬している。
 もし奈央子が本気でアプローチしたら、誰だってOKするだろうと思う。今は気づいていないのかもしれないけど柊だって、きっと嫌ではないはずだ。奈央子はこんなに可愛いし、いい子だし……何より彼自身、今でもあんなに頼るほどなのだから、特別な気持ちが心のどこかにはあるに決まっている。
 朝礼が始まるまで貸した本の話で盛り上がりながらも、奈央子をうらやましいと思う気持ちは、胸の奥をちりちりと焦がすように息づいている——今はまだ、完全に消すことはできそうにない。
 思っていた以上に羽村柊を好きになりつつあったらしいことに、自分でも驚いた。
 そしてそれは、沢辺奈央子に対しても言えることだった。羨望や嫉妬を自覚すればするほど、彼女にこういう気持ちを感じてしまうのは辛い、とも思えてくるから。
 すぐに行動に移すのは難しいかもしれない。
 ……けれどたぶん、きっとそのうち、柊と他の男子を同じレベルで考えられるようになるはず。そしたら絶対に奈央子を応援しよう、と心に決めた。


 「え、ちょっと、……もう一度言ってくれる?」
 彩乃は思わずそう聞き返していた。奈央子の言ったことはちゃんと聞こえていたが、内容が信じられなかったのだ。
 高2の夏休み。補習授業の帰りに夕立ちに遭い、雨宿りに入った喫茶で、チーズスフレに目を落としたまま、さっきの発言を奈央子は繰り返す。
 「だから、柊が付き合うことにしたんだって、同じ高校の子と」
 「——なにそれ、いつそんなことになったのよ」
 「期末のちょっと後だったかな、告白されたって言いに来て」
 「期末の後? 2週間以上前じゃない」
 それだけの間、奈央子は口に出さないどころか、そぶりにも見せなかった。彩乃でさえ、今聞かされるまでわからなかったほどに。
 「なんで言ってくれなかったの、……ていうかまさか羽村、あんたに相談したの?」
 「うん、告白されたんだけどどうしよう、って」
 口調はなにげないが、相変わらず視線はスフレに向けたままで、こちらを見ようとはしない。

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『桜、夕立ち、若葉の頃』(8)

 「それで、なんて言ったの」
 「すごい嬉しそうだったから、『そんなに嬉しいんだったら付き合えば?』って言っただけよ。まあ写真見たことあるけど可愛い子だから嬉しいのもわかるし、それに」
 「そうじゃないでしょ、奈央子。なんでそこで言わなかったのよ」
 早口な言葉を彩乃はさえぎる。ぴたりと口を閉ざした奈央子は、しばらく沈黙した後、ようやく目を上げて彩乃を見て、呟くように言う。
 「しょうがないじゃない」
 そして、微笑んだ。けれど彩乃の目には、笑いながら泣いているように見えてしまう。笑みの形を保とうとする口元が、かすかに震えていたから。
 胸を塞がれる心地がして、しばらく黙った。
 それでもなお、二人の行動に納得がいかない感情は強く、結局はその気持ちを口に出す。
 「信じらんない。あんたも羽村もなに考えてんの」
 加減したつもりだったけど、それでもかなり激しい言い方になってしまったのは否めない。奈央子はずいぶんと驚いたように目を丸くして、それから再び笑みを浮かべる。今度は苦笑いだった。
 しょうがないよ、と彼女はもう一度言う。
 「まるっきり気づいてないんだから。ひょっとして程度に思ったことだって、たぶん一回もない。わたしのこと幼なじみ以上に考えてない、いい証拠よ」
 「……そうかも、しれないけど」
 実際、中学の3年間を見てきた彩乃としても、柊の鈍感ぶりは呆れを通り越していっそ感心するほどだと思っている。卒業する頃にはほぼ100パーセントと言えるほど、奈央子が柊を好きなことに周りは気づいていたというのに。
 もっとも奈央子本人も、そこまで広まっていたとは思っていないかもしれない。当人が隠してこそいなかったけど大っぴらにはしたがっていなかったのを察して、いつしかその件については周囲が見守る態勢に入っていたから。彩乃ができる限り口止めをしていたのもいくらかは影響していただろう。
 けれど今となっては、それこそが余計なお世話だったんじゃないかという気がしてならない。逆に、柊が嫌でも気づくぐらいの騒ぎにしてやるべきだった、とまで思う。
 確かに、奴は奈央子のことを女の子として見てはいないのかもしれないが……それは、身近すぎるから考えたことがないだけであって、奈央子の気持ちを知れば、考えてみる可能性もあるのではないか。
 そう言ってみたが、即座に「無理」と返される。

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『桜、夕立ち、若葉の頃』(9)

 「あり得ないよ、そんなこと。……きっと困らせるだけにしかなんない。幼なじみですらいられなくなるなら、今のままでわたしはかまわない」
 「奈央子、……ほんとにそれでいいの?」
 「いいの」
 きっぱりとうなずいて、後は口をつぐむ。彩乃も黙って奈央子を見つめ返した。
 ……本当はもっと、いろいろ言いたいのだけど、口には出せなかった。今後気持ちを伝えるつもりは一切ないと、言葉以上に表情で宣言している奈央子を見たら。
 こんなにもどかしく感じたのは、奈央子が高校を公立ではなく、今の女子高にすると言い出した時以来だ。彩乃自身は小学生の頃から、姉の着ていた制服が可愛くて憧れていたから、高校はそこにすると決めていた。けれど奈央子が同じ進路を選ぶとは、それまで一度も思わなかった。成績から考えても進学校で有名な、そしてなにより柊が行くはずの公立に、進むことを疑っていなかったから。
 普段、たいていのことは隠さず話してくれる彼女なのに、あの時は妙に秘密主義で、なかなか理由を説明してくれなかった。やっと聞き出せたのは受験の1ヶ月前。
 『ちょっと、距離を置きたくなったの、あいつと』
 それきり、今と同じように黙ってしまった奈央子に、彩乃はやはり何も言えなかったのである。
 彼女がどれだけ、幼なじみを好きなのか——傍目からは物足りないほど静かに、けれど誰もかなわないほどに長く辛抱強く抱えてきた奈央子の想いを、誰よりも彩乃は知っているつもりだ。だからこそ、あの時も今も……こんなふうに、想い続けることに疲れたようなため息をつく彼女に自分が言える言葉などないと、思わざるを得ない。
 奈央子にこんな表情はさせたくないのに、何もできない自分が悔しい。彼女さえ任せる気になってくれたら、どんな手を使ってでも柊に奈央子の価値を再認識させてやるのに。けれど、奈央子当人がそれを望まないのでは、彩乃のお節介の出番もない。
 特別に好きな気持ちはとっくになくなっているけど、奈央子が想い続けるのはわかると思う程度には柊を認めてもいるのだ——あのすさまじい鈍感さを除けば、だが。彼はけっこう女子に親切だし、珍しいほど正直な奴で、嘘とかごまかしとは縁遠い。
 親友の言い分は尊重したいと思うけど、やはり、納得のいかない気持ちはくすぶってしまう。

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