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2010年7月18日 - 2010年7月24日

『気分転換、もしくは休息の一日』〔4〕

 中華料理店を出た時、店の前の通りは思わず目を見張るほどの混雑だった。土曜日の夜で、市内一の繁華街という条件がそろえば無理もない。
 手前の人の流れは駅とは逆方向で、その向こうが駅へ向かう人波だった。流れの隙間を目を凝らして探していたら、先に見つけたらしい柊に強く腕を引かれた。やや引きずられるように流れを横切り、駅方向への人波に混じり——いつの間にか抱き寄せられていた肩が、いくらか混雑がましになってきたあたりでもそのままであることに気づいて慌てた。
 『……ねえ、もう大丈夫だから』と言いながらはずそうとした手は、さらに強く肩を引き寄せた。さすがに奈央子が文句を言おうとした時、
 『いいじゃん、たまには』
 妙に熱っぽく耳元でささやかれて、その瞬間、抵抗できなくなってしまった。結局、カフェに着くまでされるままになっていたのだったが  
 テーブルに両肘を置く体勢で、柊の顔をのぞき込む。ほんの少し斜めになっている横顔は、目を閉じているといつも以上に童顔に見える。当人は嫌がるだろうが、こうしていると子供の頃とあまり変わらない。……けれど、彼はもう子供じゃなくて、あと2ヶ月で21歳の成人だ。
 自分たちが、直接的な触れ合いに関しては、一般のカップルよりかなり頻度が低いだろうという自覚はある。淡白というよりは、そういう気になることが少ないというのが本当だ。二人きりでいてもキスさえあまりしょっちゅうはしない。
 ましてや、それ以上のことは——初めてそうなったのだって今年の初め、交際1年が過ぎてからで、その後は今に至るまで、1度しかしていない。
 そんな調子だから、人前ではいまだに、手をつなぐこともめったにないのが普通だった。
 自分からは照れくさいからしないし、柊からも普段はあまり触れてくることはない。ましてや、先ほどみたいに強引とも言える行動はまず取らない。
 世間並ではなくても、自分たちはそんなふうでいいと思っていた。一緒にいるだけで充分、満たされた気持ちになれるから。
 だが、そう思っているのは実は自分だけで、もしかしたら柊には我慢を強いていたのではないだろうか? 彼だって男なのだから、そういう欲求が世間並にあったっておかしくはない。けれど、奈央子があまりそういうことを求めていないのを感じ取っているから、抑えているのではないか——もしそうだとしたら。
 これまで、頭に浮かぶ時はあってもさほど深く考えはしなかったことを、初めて真剣に悩んでいた。
 20年以上身近にいても、わからないことはなくならないものだなと時々思う。しかし、本当に彼が自分に遠慮しているのだとしたら、少し寂しい。そういうふうに思わせてしまっていることが辛い。
 ひどく申し訳ない気持ちが湧いてきて、柊の頭にそっと手を添える。
 いかにも恋人同士といった感じでべたべたするのは恥ずかしい。けれど、たまになら……今日ぐらいのことなら、してもいいのに。
 軽く髪をひと撫でした途端、彼のまぶたが開く。奈央子は仰天して手を離した。何度肩を揺すっても頬をつついても起きなかったくせに、なぜこのタイミングで目を覚ますのか。慌てて椅子に座り直し、平静を装うため深呼吸した。

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『気分転換、もしくは休息の一日』〔5〕

 柊が頭を起こした時、奈央子は向かいで伏し目がちにコーヒーを飲んでいた。一瞬だけ状況がわからず戸惑ったが、すぐに今いる場所を思い出す。
 「……あれ、今何時?」
 「ちょうど9時。ここに来て45分」
 げ、と思わず言ってしまった。
 「うわごめん。おれ寝過ぎ」
 「コーヒーとっくに冷めちゃってるわよ、新しいの買ってこようか」
 「いやいい、これで——う、にが」
 慌てて口をつけたコーヒーはかなり苦かった。普段ブラックで飲むことはない。
 「当たり前でしょ。砂糖もミルクも入れてないんだから……なに、変な顔して」
 「そっちこそ。何か言いたいことあんじゃない?」
 「ミルクこぼれてる」
 と言われて反射的に手元を見て、トレイの惨状に気づく。新しいミルクを取りに行き席に戻るまで、ちょっと不可解な気分だった。
 本人が気づいているかどうかわからないが、何か言いたいことがある時、奈央子の口調はいつもより平坦になる。少なくとも彼女に関する限り、そういった言動と考えていることの関係に気づくようになってきた。そして先ほどのように視線をそらしがちな場合、「言いたいこと」がたいていは言いにくい内容であることも。
 椅子に座った時にも、奈央子はまだそんな様子だった。だがミルクをコーヒーに注ぎ終わるタイミングで「あのね」と声をかけてきた。聞きづらいが聞かないままでいるのも気になる、といった感じで。
 「変なこと聞くかもしれないけど、いいかな」
 彼女らしからぬ前置きに、内心ちょっとだけ身構える。
 「——珍しいこと言うな、なんだよ」
 「……デートの時に、いつも手をつなぎたいとかくっついて歩きたいとか——その、いちゃいちゃしたいとかって思ってたりする?」
 後半が恥じらうように小声になった質問に、思わずカップを倒しそうになった。奈央子をあらためて見ると、やけに気合いの入った表情になっている。
 妙な間が生まれそうになり、打ち消すためにコーヒーを口に付けたらまだ苦かった。砂糖がちゃんと溶けていなかったらしい。考えを言葉にまとめるための時間稼ぎも含めて、マドラーで念入りにかき混ぜる。
 「……そりゃ、まあ。全然思ってないってったら嘘だけどさ。いちおう、おれだって男だし」
 彼女とその手の話をしたことはないから、正直、口には出しにくいものがあった。だからつい歯切れの悪い口調になるが、気持ちははっきりしている。
 間を置かずに「でも」と続けた。
 「今の感じで、別に不満はないけど? そういうことしたくなる時があんまないってだけだし、それが問題とは思ってないし。おまえもそうじゃないの」
 「……うん、そうなんだけど」
 そうだよな、と思う。彼女は見た目以上に、そういう方面には控えめで照れ屋だから。ならばなぜ、そんなことを聞くのだろう。
 奈央子が再び先ほどの仕草を繰り返す間、柊は首を傾げていた。すると、
 「その——さっきみたいなことって珍しいから、今まではなかったけど願望はあるのかなって」
 2つ目の質問はひどく気まずそうに発せられた。「だとしたら、我慢させてたのかなって思って」と続いた声は、先ほどよりもっと小さく、どこか申し訳なさそうでもあった。
「さっきみたいなこと」の内容を、五秒ほど考えて思い出す。「……あー」と応じたものの、今度はこちらが気まずくなってきた。目を伏せて、とっくに砂糖は溶けたコーヒーをまたかき混ぜ始める。マドラーの回転が不自然に速くなっていることを自覚しつつ。
 目を上げると、当然ながら奈央子が不安そうな顔をしている。……なんと説明すればいいものか。
 願望がゼロだったとは言わないが、先ほどに限っては、主たる理由は全然違ったから。
 「あれは、えーと——めちゃくちゃ眠かったから」

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