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2010年1月24日 - 2010年1月30日

第6章・3

 『そういうわけじゃないんだけど……今は』
 嘘にならないようにと思って言いよどんだのを、茉莉ちゃんはどう解釈したのかわからないけれど、ともあれ納得した様子でうなずいた。
 『なんとか、都合つけるようにするわ。何日がいいの?』
 向こうに確認してみると答えて、先生にメールを打った。最後に会った日以来、一度も連絡は取っていなかった。正確に言えば、先生の方からはメールや留守電が何度か入っていた。わたしが返信もかけ直しもしていなかったのだ。
 〈——理子ちゃんに悪いことをしたから、きちんと謝りたい〉
 毎回書かれている、あるいは言っているその一文を、わたしは毎回冷静に受け止め、そして聞き流している。一瞬だけ指先を針で刺すような痛みを感じはするけれど、それだけだ。
 あの時の呼び間違いに気づいたのか、2ヶ月弱の逢瀬自体を指して言っているのかはわからない。でももう、どちらであろうと同じ、謝られる必要も感じないことだった。わたしにとっては。
 だから、返事をしようとも思わなかった。それがよほど気になっていたのだろう、夜遅くだったけれど先生からの返事はすぐに来た。
 明日の夜8時以降なら何時でも、というのをわたしはそのまま茉莉ちゃんに伝えた。ちょっと困っていたようだけど、急用ができたからと早めに抜けさせてもらうようにすると、茉莉ちゃんにしては珍しいことを言った。
 そしてその翌日——クリスマスイブの夜、期せずして会った二人がどんな話をしたのかは知らない。けれど、今度こそ結論を出したのは確かだった。
 次の週末、前触れなく家に来た先生と茉莉ちゃんは、そろって両親に言ったのだ。結婚して、先生の転勤先に二人で行くと。
 私ももちろんその場にいたから、両親の驚きや動揺がどれほどのものだったか知っている。我に返った後、両親が(特に母親が)言葉を尽くして思いとどまらせようとし、それが叶わないとわかると言葉の限りに先生を非難したことも。
 その時ばかりは先生も譲らなかった。茉莉ちゃんに負けず劣らずの意志の固さを見せて、年をまたいでのやり取りの末、ついに両親を押し切り、今後のことを認めさせた。
 つまり、何度か家に来たわけだけれど、わたしはほとんど先生と口をきいていない。話のメインは両親の説得だったし、わたしはお茶を替えたりするのを口実に、意識的にその場に長居はしないようにしていた。

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第6章・4

 ……一度だけ、見送りに出た際に茉莉ちゃんが先に家に入って、二人きりになったことはある。その時、先生は、玄関の奥を窺ってからわたしを見て、なんともいえない表情をした。何か言おうと口を開きかけたのをさえぎるように、わたしは笑ってみせた。自分にできる最高の笑顔のつもりで。
 『茉莉ちゃんをよろしくね、お義兄さん』
 声を震わせることも笑顔を引きつらせることもなく、言えたはずだ。理子ちゃん、とつぶやいた後の沈黙に、先生が何を考えていたのか——たぶん「ごめん」と「わかった」のどちらを言うべきか悩んでいたのだろう。
 けれど結局どちらの言葉も続くことはなく、なお笑顔を保っていたわたしの目を見て、うなずくにとどまった。そして、すごく努力して感情を抑えた、というような声で『……元気で』と言った。
 『うん、先生も。——今までありがとう』
 向こうでの生活が落ち着くまで式はしないことになっていたし、その日は、両親が根負けして意見を曲げた日でもあった。だから当分会うことはないだろうと思ったら、自然に最後の言葉が出てきた。
 先生は表情を一瞬歪めたけれど、何も言わなかった。そのまま手を振って、別れた。
 全く傷つかなかったわけではないし、悲しくなかったわけでもない。けれど、わたしは今でも本当に後悔してはいなかった。自分の気持ちを先生にぶつけたことも、その結果も——悪いことをしたのはむしろ、わたしの方だ。
 先生はこの先当分、あのことを引きずるかもしれない。だからせめてわたしは、平気な顔をし続けなくちゃいけない。
 平気だと思えるようにならなければいけない。
 でなければ、先生を好きになったこと、ひいては出会ったことまで、いつか恨むようになるかもしれない。それだけは絶対に嫌だから。
 先生に出会ってからの6年を、否定する自分にはなりたくなかった。好きになってはもらえなかったけれど、先生を好きでいたことで、確かに幸せな時もあったのだから。
 話が終わって、しばらくはお互い沈黙していた。
 ふと気づくと次の講義の時間が迫っていたので、会計を済ませて急ぎ足で出る。図書館を出て講義棟へと向かう途中、ふいに振り向いた亜紀がぽつりと言った。かすかな微笑みとともに。
 「がんばったね」
 すとんと、胸にその言葉が落ちた時、目頭が一瞬熱くなった。
 「……うん」
 短くうなずきながら、すべり落ちた一粒の涙を、見られないように素早くぬぐった。

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