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冬空に春を見る

 「家出っ?」
 思わず飛び出たすっとんきょうな自分の声に一瞬慌てる。しかしそれどころではない。
 電話の向こうの声は、慌てたり取り乱したりは全くしていないが、呆れと不機嫌があふれるほどに含まれていた。
 『そうなの、気づいたら部屋にいなくてね。あんまりのんきにしてるから昼間、母さんや私がちょっと忠告したらすねちゃって。で、夕ごはんできたって呼びに行ったら』
 「……あの、くーちゃん?」
 なかなか止まりそうにない勢いで続く言葉を、奈央子はさえぎった。公美は『ん?』と気分を害したふうもなく聞き返してくる。
 「家出はないんじゃないかな。いくらなんでも柊だってそこまで無責任なわけじゃ」
 『わかってるって、あのバカだってまさかそんなことしやしないでしょ、こんな時に。けどもう2時間以上経つのよ。どこほっつき歩いてるのか知らないけど、こんな寒い時にうろついてたら風邪引くかもしれないのに、いくらバカでも』
 「……………」
 複雑な気分になってきた。大部分は同意だし、公美なりに弟を心配しての発言だともわかっているけど、こうもバカと連呼されるのを聞いていると、柊が少々気の毒にも思えてくる。
 『ね、奈央ちゃん。嘘ついてるって思うわけじゃないけど、あいつから何も連絡ない? メールとか』
 「……うん。マナーモードにしてないから着信あったらわかるし。かけてみようか?」
 『いや、いいわ。どうせ私の差し金だと思って出ないだろうし。普段鈍いくせにそういう時だけ鋭いんだから』
 いまいましげな口調に、確かにそうだなと思って苦笑いが浮かぶ。経験の成せる業か、姉が関わっている、もしくは考えていることに対しては、当人曰く「警戒アンテナ」の感度が非常に良いのである。
 普段は本当に、とんでもなく鈍いくせに。
 思わずつきそうになったため息をこらえつつ、連絡があればすぐに知らせる、と約束して公美との通話を終えた。
 沈黙した携帯の画面を見つめつつ考える。時刻は午後9時半過ぎ。
 ――何やってんのよ、もう。
 明日は受験当日だというのに。しかも私立K大、イコール柊の第一志望である大学の。
 彼の通う県立高校は、近隣校の中では進学校の部類に入る。詳細は知らないのだが、柊の成績は平均以上はあるものの上位組ではなく、だから近県では偏差値の一番高い私大であるK大を受けることを、担任や進路指導の先生は口をそろえて止めたらしい。模試も最高でC判定だったと聞いている。
 しかし、表向きは別の大学を第一志望にしつつも、柊はK大受験をやめようとしなかった。無理と言われてかえって挑戦したくなったのか、仲のいい友達も何人か受験するからか、――付き合って1年半になる「彼女」も受けるからなのか。
 どれが決め手かわからないが、ともあれ、今日は最後の追い込みか、早く休むかするべき日のはずだ。なのに。
 短縮に入れてある番号を押しかけたが、出ないかもしれないという公美の言葉を思い出して指を止める。……柊だってそこまで無責任じゃない。自分の言った言葉も思い返しながら。
 だけど、何もせずに連絡を待つだけなんてできない。
 「お母さん、コンビニ行ってくる!」
 「え、今から? 明日の朝にしたら」
 「シャーペンの芯が少なくなってるの、さっき気づいて。朝だと慌ただしくて忘れるかもしれないから今買っときたいの。ついでに何か、いる物ある?」
 「そうね、じゃ牛乳とはがき頼めるかしら。早く帰ってくるのよ」
 「うん、自転車で行くから」
 言いながらコートに袖を通し財布と携帯をコートのポケットにつっこみ、早足で家を出る。駐車スペースの自家用車横に止めてある自転車を引き出して、ライトを点けた。
 ――30分だけ。それ以上かかると心配されてしまうから。
 忘れないように心の中で繰り返しながらペダルをこぐ。平日の夜、ほとんど通行人のいない界隈。自転車とはいえ一人で行き来するのはやはり少し怖い。でも町内はひと通り回ってみようと、スピードを調節しつつ周囲に目を凝らす。途中で本当にコンビニに寄って、頼まれた品物を急ぎ買ってからも。
 ……でも、無駄なことをしているのかも。近所にいない可能性だって大いにあるのに。
 駅前まで出てファーストフード店とかにいるかもしれないし、もっと遠くまで行ったかもしれない。男子だから暗い道も別に怖くないだろうし、そもそも、最近の柊の行動半径なんてよく知らない――
 そう思った途端に思わずブレーキをかけていた。なんだかすごく嫌な気分、言い表せない寂しさに襲われて。
 その重さを振り払いたくて、わざと勢いよく顔を上げる。目線の先に、子供の頃よく遊んだ公園があって、そして。
 見えた人影に目を見開き、直後、公園の敷地内に向かって自転車を走らせる。ジャングルジムのすぐ横で止まり、しばし見上げたのち、ベルを思い切り鳴らしてやる。てっぺんの人影が文字通り飛び上がった。
 「うわっ、――なんだ、何やってんだよ」
 「それこっちの台詞なんだけど。何やってんのよあんた、明日受験日のくせに」
 「お互いさまだろ、それは」
 「あのね、問題はそこじゃないの。なんでこんな時間にそんなとこにいるかってこと。まさか2時間もそこにいたんじゃないでしょうね」
 「まさか。駅前まで歩いてちょっと食って、コンビニ何軒か回ってからここ来た。……てかなんで2時間?」
 「くーちゃんから電話あったの。2時間以上帰ってこないって」
 と言った途端、柊はあからさまに顔をしかめる。
 「あー、……どうせまたろくでもないこと言ってたろ。探してくれとか言われた?」
 「言われてないけど、聞いちゃったらやっぱり気になるでしょ。今日は特別寒いし」
 「ふーん?」
 「……何よその目」
 「いや、心配されたのかと思って」
 「――心配したらおかしい? せっかく反対押し切って受けるのに当日熱とか出したら台無しじゃないの。わたしやくーちゃんが苦手科目教えた甲斐だってなくなるし」
 今が夜でよかった、と思った。勝手にどんどん赤くなる顔の色をはっきり見られないで済むから。
 目線を落としている間に下りてきた柊が「そりゃごめん。でもまあ、おまえも見てみろって」と上を指さしたので、言葉に従って見上げると、
 「……うわ」
 一瞬、言葉をなくして呆けてしまうほどの星空。
 昼間の曇り空が夜になって晴れたことも、公園でこんなに星がよく見えることも今まで気づかなかった。
 顔を動かさないまま横目で隣を窺うと、彼も同じように空を見上げている。生まれた時からずっと、近くにいた幼なじみ。身長差が頭半分以上になるだけの月日が経っても高校が別になっても、会おうと思えばたやすく会える距離にいた、一番好きな人。
 ――けれどもうすぐ、こんなふうに会えることもなくなってしまう。
 K大の最寄り駅はここから2時間以上かかる。家から通えないわけではないけど、通学の往復で毎日5時間近く費やすのは楽な話ではない。大学に近い町で一人暮らしをする方が効率的だし、受かれば十中八九、彼はそうするだろう。
 そうなったら確実に、会う機会は一年の中で数えるほどでしかなくなる。いつかは来ると思っていた事態が目の前に迫っている現実に今さら気づいて、胸が締めつけられる心地がした。……寂しくてせつなくて、痛い。
 いきなり湧き上がってあふれそうになった涙を、くしゃみでとっさにごまかした。非常にわざとらしいと自分では思ったが柊は気づかなかったようで、「あ、悪い。寒いよな」とやや焦った口調で応えた。
 「自転車、キー付いてる?」
 「付いてるけど、……何してんの」
 サドルの高さを調整し始めた柊の行動に、今度はこちらが焦る。
 「ん、あ、早く帰った方がいいと思って。ほら乗れよ」
 と言う当人はサドルにまたがっている。この状況で乗れと言われたら後ろの荷台しかないことは判断がつく、が。
 「あんたバカ? 二人乗りなんか危なくてできるわけ」
 「固いこと言うなよ、今は非常時だからいいだろ。もし警察とかに見つかったら、おれが怒られてやるから」
 その言い方には何のてらいも気負いもなくて。だからこそ彼が、自分をただの幼なじみとしてしか見ていないことがわかって、先ほどとは違う意味で少し胸が痛む。
 ……全然気づかない鈍感野郎なのにあきらめてしまえないのは、時々こんなふうに示される優しさのせいなのか。 嫌になるのに、嫌いになれない。
 睨んでみても、当然ながら真意に気づくはずもなく、柊は変わらぬ表情を向けたままで自分の行動を待っている。観念して足を踏み出し、荷台に横向きに腰掛けた。
 走るぞ、の言葉とともに発進した自転車は最初こそ何度か揺れたけれど、次第に安定して走行もスムーズになる。危なげないペダルの足運びに、幼なじみとの性差をあらためて意識する。最初に揺れた時に反射的にしがみついた、見た目より広い背中にも。
 もちろんすぐ離れようとはした。だが離れる直前の「つかまってろよ、危ないから」の一言でタイミングを逸し、次いで意志も失ってしまった。
 氷がそのまま空気になったような冷たい風の中で、コートごしに彼につかまる手と、どさくさで背中に寄せた頬だけが温かい。――離れたくなかった。しがみつく姿勢を保ったままで、空をまた見上げる。
 自転車が進んで周りの風景が変化していっても、目に映る星の配置は同じだ。けれど、日にちが経てば同じ時間でも見える星は変わる。寒さがやわらいで夜でもコートがいらなくなる頃、春になれば確実に。そして自分たちの環境も。
 自分が第一志望にしているのはここから1時間足らずで行ける国立大。ずっとB判定以上だし、よほど相性が悪い試験問題だったりしない限りは、たぶん受かる。そうなれば通うのは自宅から。もし一人暮らしをするとしてもK大とは逆方向の土地になる。国公立受験クラスの自分がそこを蹴ったら不自然に思われるだろう。近さでも偏差値でも学費の安さでも、国立大の条件が一番良いから。
 ――でも、わたしはK大に行きたい。こいつと一緒に。滑り止めの私立大に含めたのも、周りにこぞって薦められたからではなくて、その可能性を残しておくためだった。
 就職の時にはどうしたって離れざるをえない。それまでの4年間だけでも、彼の存在をできるだけ近くに感じていたいと思った。一日でも長く、今の距離を保っていたい。幼なじみのままでいいから……他に彼女がいてもかまわないから。
 最後の部分が本心ではなく強がりなのはわかっている。けれどその辛さよりも今は、柊と同じ大学に行きたい気持ちの方がずっと勝っていた。こんなふうに彼の優しさに触れられる機会を、まだなくしたくない思いが。

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小説 -『ココロの距離』番外編」カテゴリの記事

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