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2018年5月

彼女たちのクリスマス

 その日、私立K大構内は至る所が活気づいていた。学生数の多いキャンパスだから騒がしいのは毎日のことだが、いつもより浮かれた雰囲気がただようのはやはり、今日が冬季休暇前の最後の講義日であるからだろう。講義の間でも、机の陰で携帯やスマートフォンをいじる学生(中には堂々と出している学生もいるが)の姿が絶えない。
 さらに言えば今日は12月22日。打ち上げ込みでクリスマスを口実にした行事をやるサークルが多いはずだし、友達同士、そして言うまでもなくカップルでも、早めのクリスマスを計画している人はいるだろう。
 「そうだ、あんたたちはどうするんだっけ」
 今日イコール年内最後の講義が終わり、時間内の小テストの確認をしていた親友に、彩乃は思い出して尋ねた。
 「何が?」
 「クリスマスよ。なんか計画してないの」
 自然な調子で出した質問に、奈央子は薄く頬を赤らめる。
 「え、別に……プレゼントぐらいは用意してるけど」
 「それだけ? どっか二人で行くとか、どっちかの家に泊まるとかナシ?」
 後半部分に、色白な頬が今度は真っ赤になる。
 「そ、そんなのないよ。明日ちょっと会うけど、明後日には実家に帰るし、映画観るかごはん食べるかぐらいだよ」
 必要以上に慌てる様子が、女の自分から見ても実に可愛らしい。だからたまに、わざとからかってみたくなる。純粋な興味もあったけど、2つ目の質問の意図の半分はそれだった。
 「ふうん、でも今日も会うんでしょ。明日は出かけないでゆっくりしたらいいのに」
 「今日はあいつが夕方バイトだから、その前に図書館で会うだけ。休み明けのレポートの相談で時間つぶれると思うし」
 「レポート? ってなんか科目重なってたっけ」
 「自由履修で取ってる西洋史のやつ。英語の資料読むの助けてほしいってしつこいから」
 「あぁあっちは必修だから? 相変わらず人がいいねぇ奈央子」
 「まあもう慣れてるけど。でも全部やってるわけじゃないよ、それじゃ意味ない……あ」
 と言葉が途切れたのは、メールの着信に気づいたからだろう。一読して素早く携帯を閉じ、ごめん行かなきゃ、と広げていた荷物をまとめ始める。
 「どしたの。あ、今のメールひょっとして羽村?」
 「うんそう。図書館今から付き合ってくれって。バイトのシフトが変更になって休みになったみたい」
 早口で説明しながら立ち上がる奈央子に、
 「なら今日は空いてるってことだよね、そのまま家行って泊まってきたらいいじゃん」
 「っ、だからそういうことはしないってば。……じゃまた電話するね。おつかれ」
 おつかれさん、と手を振り返し、早足で教室を出ていく背中を見送る。自分が言うのも何だが、相変わらずウブな付き合い方を続けているようだ、あの二人は。
 中学時代からの親友とその幼なじみが、恋人同士に進展したのは去年のクリスマスイブ。それからほぼ1年が経つ。
 親友とはいえ何もかも根掘り葉掘り聞いているわけではないけれど、彼女と彼の間に、キス以上の展開が起きていないことは知っている。今時なんとも珍しい。
 彩乃自身は誰かと一対一の付き合いをした経験はないものの、友人や姉たちから話を聞かされるうちに、いろんなエピソードが頭の中に蓄積している。その情報に従う限り、1年付き合ってその状態でいるカップルはまずいない。あの二人を除いては。
 二人きりでもそういう雰囲気にならない、というのが親友の弁である。「ただの幼なじみ」だった期間が長いからとも言っていた。ある程度は同意しなくもないけれど、キスはするのだから全然「そういう雰囲気」にならないわけでもないだろうと、常識的には考える。まぁ、世間の常識が当てはまらないのがあの二人だとも思うわけだが、それにしてももどかしい。
 ーーお互い年頃なんだから、全然「そういう」ことを考えないはずはないだろうに。
 自分だったらたぶん考える。想像の域を出ないけど、それがむしろ普通だと思う。もっとも自分が耳年増な自覚はあるから基本的には考えるだけで、口に出すのは先ほどレベルのからかいや冷やかしに留めているけれど。
 奈央子の場合、それだけで期待通り(時には期待以上)のリアクションを返してくるから、充分楽しめる、もとい微笑ましく感じられる。こんなふうに考えたり要らぬ口出しをしている自分は少々おばさんくさいかもな、とたまに思いながら。
 「さて、と」
 自分もそろそろ教室を出なければならない。講義の間の休み時間が終わるし、人との約束がある。ここを第一志望にしている従弟が、あと15分ほどで正門前に来る予定なのだ。K大名物のクリスマスイルミネーションを見たいのだという。
 時計を見ると3時前。今日からイルミネーションの点灯時間が早まるとはいえ、点くまでにはまだ1時間半以上ある。サークルの忘年会が5時半からだからろくに付き合えないと言ったが、当人はそれでもいいからと半ば強引に来ることを決めてしまった。
 もともとそういう一面はあったかもしれないが、近頃は、こちらを押し切るほどの強引さがやたらと目につく。
 それが妙に気になることに別に他意はない。生意気だなと思いながらもたまに、驚くほど背丈の伸びた奴を見上げて、意外に精悍な横顔にどきりとする時があるのも条件反射みたいなものだ。
 ……夏休み以降に何度か、妙なちょっかいを出されているのは確かだけど、そんなもの真剣に考えていたらキリがない。いずれあるべきところに納まるだろう。あの二人だっていつかは、たぶん。
 そう思った瞬間に生じた違和感には、その時は気づけなかったーー消えるまでがあまりにも短くて、ささやかすぎたから。




 構内奥の講義棟から大学図書館への道を歩きながら、まだ頬がほてっているんじゃないかと奈央子は心配になる。彩乃の発言が今日に限って頭を離れないせいだ。
 ああいうふうにからかわれること、それ自体はいつものことである。長々と「幼なじみ」に甘んじていた状態をずっと見ていた彩乃だから、ようやく今の関係に至った時には誰よりも喜んでくれた。だから、冷やかすような発言に悪気が全くないのもわかっている。
 わかっているから、いつもなら「そう言われてもなあ」と思いながらも受け流していられるのに、今日はなんだか、妙に神経質になってしまった。……というか、有り体に言えば恥ずかしく感じてしまった。
 本当にそういう、なんというかストレートに「男女の仲」的な事柄は、ほとんど意識したことがない。
 そりゃまあ全然考えもしないと言ったら嘘になるけれどーー仮にも、いやまがりなりにも付き合っているのだからーーでも普段はほんとに、そういうことは気にしていない。というか気にならない。心の底から今の状態に満足しているから。
 と言うと、たいていは「のろけ?」と言いたげな顔をされたり(実際に言われたり)するのだけど、事実だからしかたない。
 今みたいに付き合うようになるとは、夢想はしても期待したことはなかった。これは本当だ。
 自分はずっと好きだったから、そうなりたいと思う時はあった。だけど同時に、無理だとも思っていた。1年前までの柊が、無意識下ではどうあれ、奈央子を恋愛対象として考えていなかったのは間違いなかったから。身近に接していれば、それは嫌でもわかることだった。
 それだからずっと、女子として見てもらうことはあきらめていた。その代わりに「幼なじみ」としての立場だけはできるだけ長く保ちたくて、一度は高校で道を分けていながら、同じ大学を選んだ。
 結果的にはそのことが、柊との距離を近づける一因になったのだった。紆余曲折はあったけど、期待していなかっただけに、嬉しさは後からじわじわと、波のように繰り返し押し寄せるように感じたものである。
 だからいまだに、去年のクリスマスの嬉しさが続いている心地がするのだ。
 想いが通じ合ったのは、もう1年も前のことなのに、ついこの間の出来事のように思える。それだけ、そうなれるまでの月日が長かったとも言えるかもしれない。なにせ生まれた時からの付き合いで、気づいた時には好きになっていた。人生の大半は柊を好きでいた年月と言っても、きっと差し支えない。
 照れくさすぎるから、そんなこと本人には言わないけれど。
 ともかく、それだけ長く心に抱いていた想いを、ようやく隠さずにいられるようになった。それは自分にとってはとても奇跡的なことで、人生で一番嬉しいことに違いなかった。だからきっと今も、想いが通じ合っているだけで嬉しいと思えるのだ。
 大学図書館の入り口に続く道に、柊の姿を見つけて、その気持ちをあらためて確信する。こちらに気づいて笑いかけてくる柊に、奈央子も心からの笑みを返す。
 同じ想いでいること、お互いにそうだと知っていること。その事実が本当に幸せに感じられる。
 だから、今以上に何かを求めたいとは思わない。今は。
 ーーさて、思わず笑っちゃったけど、ちょっと気を引きしめないと。これはデートじゃなくて勉強なんだから。
 そう思いながら、表情を厳しい方向に変えようとはするけれど、なかなかに大変な努力を要することだった。柊の笑顔がどこまでも無心な、奈央子が好きでしかたない表情だったから。
                                                                                       - 終 -

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