『ココロの距離』- 目次 -

                    *第2話の目次はこちら

  【1】-1:9月半ば
  【1】-2:彼女の視線
  【1】-3:ありがちすぎるけど
  【1】-4:前向きじゃない
  【1】-5:話題の指輪
  【1】-6:「おまえは?」

  【2】-1:試験2週目
  【2】-2:近すぎて気づかない
  【2】-3:ひそかな優越感
  【2】-4:気にかかること
  【2】-5:お願い
  【2】-6:バランス
  【2】-7:抱きしめたくて

  【3】-1:10月初め
  【3】-2:「好きなんでしょう」
  【3】-3:彼女の言う通り
  【3】-4:ずるいこと
  【3】-5:離れていかなければ
  【3】-6:タイミング
  【3】-7:素直すぎる
  【3】-8:泣きたくなんかない
  【3】-9:会わず話さず
  【3】-10:彼女たちの会話
  【3】-11:昨日は
  【3】-12:不安定な気分
  【3】-13:適当な距離
  【3】-14:心配
  【3】-15:ほんとに好きな人
  【3】-16:彼女という存在
  【3】-17:泣かせた

  【4】-1:翌日、水曜日
  【4】-2:本気とは思えない
  【4】-3:同じ日の夜
  【4】-4:「代わりにされるのなんて」
  【4】-5:決心
  【4】-6:事実は変わらない
  【4】-7:その週の土曜日
  【4】-8:他の誰でもなく
  【4】-9:確信
  【4】-10:会う段取り
  【4】-11:ずっと前から
  【4】-12:大学祭2日前
  【4】-13:彼女との話
  【4】-14:今さらだけど
  【4】-15:自己嫌悪と励まし

  【5】-1:12月
  【5】-2:戒め
  【5】-3:信じること
  【5】-4:クリスマスイブ
  【5】-5:プラチナリング 
  【5】-6:「ありがとう」

    *第1話完結コメント*

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【1】-1:9月半ば

 文学部棟から大学図書館へ向かう道で、沢辺奈央子(さわべなおこ)は足を止めた。後ろから呼び止められたからだ。
 声の主である友人、瀬尾彩乃(せおあやの)が追いつくのを待って、並んで再び歩き始める。
 9月半ば。
 奈央子たちが通う私立K大学は現在、前期試験のシーズンである。日程4日目の今日、奈央子は1科目だけあった試験を終えたところだった。
 彩乃とは同じ文学部・英文学科1年であるが、今日はお互い自由選択科目の試験だったため、今まで顔を合わせてはいなかった。試験後、奈央子が学部の掲示板を確認しに来たところを、同じ目的で来ていた彩乃が見つけ、声をかけたという次第である。
 「奈央子、この後試験あるの?」
 「ううん、今日はもう終わりだけど」
 「じゃあさ、学食でお昼食べてから、図書館一緒に行かない? 週明け提出のレポートがまだできてなくて」
 「あ、文学講読Ⅰ(*注1)の?」
 「そう……もしかして奈央子、もう終わっちゃったとか?」
 「まさか。ほとんどやってないよ。資料は休み前にあたったけど、あんまり読んでないし」
 「資料探すだけでも偉いって。あたしなんか休みに入った途端、レポート自体忘れてたもん」
 そう言って苦笑いする彩乃につられて、奈央子も少し笑った。
 「確かに、休み明けの試験とかレポート提出とかって、なんか気が抜けるよね」
 「そうだよねー。夏休みが早いのは有難いけど、その後がね……休み前に試験終わっちゃう方が結局は楽かなぁ。そういうトコ行けば良かったかな」
 「まあ、一長一短じゃない? どうせ試験はあるんだし」
 などと話しながら歩いていると、また奈央子は自分を呼ぶ声を耳にする。いくつかの講義棟と、学生食堂のある建物へそれぞれ通じる分かれ道のところに来ていた。声をかけてきた人物は、講義棟のひとつである2号館の方向から歩いてくる。
 早足で近づいてくるのは羽村柊(はむらしゅう)だった。
 反射的に微笑もうとした顔が、もう一人の人物に気づいて、一瞬引きつる。けれどすぐに、何とか不自然でない程度に笑顔をつくった。
 「おー奈央子、ちょうど良かった」
 「なに、柊?」
 「こないだ借りたドイツ語のノート返しとくな」
 「あぁ、これね」
 差し出されたノートを受け取りながら、柊の後ろにいる人物にちらりと目を向ける。——望月里佳(もちづきりか)。

          (*注1) ローマ数字の「1」



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【1】-2:彼女の視線

 彼女の表情は一見平静だが、目は奈央子と話す柊をじっと見つめている。時折奈央子の方に向ける視線は、どこかトゲトゲしい。
 さっさと話を切り上げようと考えた途端、柊が、
 「そっちも今日は試験終わりだろ。ノートの礼にメシおごるから学食行くか?」
 と言った。
 (バカ!)
 舌打ちしたい気分だった。
 里佳の視線のトゲがいっそう増えた気がする。
 他の三人が何か言う前よりも早く、奈央子は口を開いた。
 「オゴリはありがたいけど、のんびり食べてる暇はないのよ。週明けに出すレポートの資料探さなきゃいけないから。ね、彩乃」
 「……うん、まぁね」
 「それに、これから望月さんとどっか行くんじゃないの?」
 「え。まあ確かに、映画観に行くつもりだけど」
 「だったら食事も二人でしてきなさいよ。せっかくのデートのお邪魔するほど無粋じゃないから、わたしたち。ねえ?」
 再び彩乃に同意を求めると、なにやら複雑そうな表情をしたが、いちおう頷いた。
 それでもまだ場を去ろうとしないばかりか、
 「けど、まだ時間あるしなあ?」
 よりによって里佳にそう尋ねる柊の鈍さに、思わず盛大にため息をつく。心の中で。
 「いいんだって、わたしたちほんとに急ぐから。それじゃ」
 早口で言いおいて、彩乃の腕を引っぱり、二人に手を振ってその場を離れた。
 ——注文を終えて、学生食堂の椅子に腰を落ち着けてからも、彩乃は何度か意味ありげな表情でこちらを見た。何か言いたげな目にも気づいていたが、奈央子はあえて知らないふりで別の話題をふる。
 後期に選択したい科目の話が一段落ついたところで、
 「あのさ、あんまりこのことは言いたくないんだけど……」
 日替わり定食の鶏唐揚げをつつきながら、おもむろに彩乃がそう切り出した。
 来たな、と奈央子は思う。
 「ねえ、やっぱ不毛だよ奈央子。前向きじゃないと思うよ」
 「——うん、そうだね」
 柊は、いわゆる幼なじみだ。
 実家が近く、誕生日が2日違いという縁である。
 もう少し詳しく言うなら、出産予定日の近かった母親同士が、ご近所さんのよしみもあり親しくなった。奈央子の母は初産で柊の方は2度目だったので、前者が後者に頼ることも多かったらしい。



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【1】-3:ありがちすぎるけど

 出産後も母親同士の親交は続き、必然的に子供連れで会うのが普通だった。だから文字通り生まれた時から……否、生まれる前からの付き合いになる。
 高校で女子高と共学に分かれるまでは、幼稚園から中学までも同じだった。大学に関しては、柊はもともとK大が第一志望であり、奈央子は本命の国立大学に不合格だったため、いくつか合格していた私立の中からK大を選んだ。
 ——いや、最後に関しては、半分は嘘である。
 奈央子は、幼なじみが第一志望に受かったことを知った上で、ここを選んだのだから。

 凄まじくありがちすぎて、自分でも呆れてしまう時がままある。
 それでも、奈央子は柊が好きだった。
 幼なじみとしてだけではなく。

 「そもそも、どうしてそんなに好きなわけ?」
 「……うーん」
 彩乃に問われて、ちょっと考えた。
 そう聞かれるのはこれが初めてではない。
 彩乃とは中学1年で同じクラスになってからの付き合いで、高校も同じ女子校だった。柊への気持ちを打ち明けた数少ない相手でもある(というより、彩乃の方が先に感づいて尋ねてきた)ので、中学時代から何度となく繰り返されてきた問いであった。
 ——実のところ、自分でもよくわからない。
 深く考えたことがない、というよりも、考える以前のことだというのが正直なところだったから。
 物心つく前から、当たり前のように近くにいて。
 一緒にいることがただ純粋に楽しかった。
 もちろん女の子の友達はいたし、普通に遊んでもいたけれど、誰よりも長く一緒にいたかったのは、いつでも柊だった。
 そんな想いが、気づいた時には恋心として、自分の中にしっかり根付いていた。
 「……わかんないな」
 だから、この答えもいつも同じだった。具体的に理由が言える問題ではなかったから。
 それきり何も言わず、カレーライスを再び食べ始める奈央子を見て、彩乃は小さくため息をもらす。
 「重症なんだね、相変わらず」
 と言われて、奈央子は苦笑した。
 確かに、重症だと思う。
 彩乃以外には言っていないが、国立を落ちたのは実は、不可抗力ではなかったのだし。



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【1】-4:前向きじゃない

 「わかった。じゃあ安斎(あんざい)さんにはあたしからも一言言っておくよ」
 「……うん、悪いけどよろしく」
 安斎さんというのは、彩乃が所属する混声合唱サークルの2年生である。夏休みに入る前、奈央子は彼から交際を申し込まれたが断った。しかしその後も安斎氏は何度か誘ってきており、そのたび断るのだが、あきらめてくれる様子がなかったため、彩乃に相談していたのだった。
 「っと、もう1時だ。早く食べて行かないと」
 「そうだね、明日も試験あるし」
 「ね、もし適当な資料見つからなかったら、そっちが借りてるの見せてもらってもいい?」
 「かまわないよ。なんだったら週末にでも泊まりに来る?」
 「あー、そうさせてもらうかも……まぁまずは探してからね」
 「ん。じゃ行こうか」

 前向きじゃない。
 彩乃に言われるまでもなく、奈央子自身が一番そう思っている。
 実際、柊が里佳と付き合い始めたと知った時、もうやめようとも思ったのだ。それまでだって、同じように考えたことがなかったわけではないけど、あの時はかなり真剣にそう思った。
 それから2年近く経った今。結局思い切れてない自分自身を、どうなんだろうと考えることは当然、ある。
 同時に、あっさり思い切れるなら苦労してない、とも思う。なにせ物心ついてからの10数年、奈央子にとっては当たり前すぎる——もっと言ってしまえば、他に替えようのない位置に存在した気持ち。
 簡潔に言うなら「あきらめが悪い」という一言になるのだろう。そう言われてもしかたないし、自分でも思わないわけではない。
 けれどなるべくなら、そう考えたくはなかった。認めてしまったら負け、とかではなくて……
 そういう次元を超えたところに、この想いがあるのだという気がしている。自分でもうまく表現できないのだけど。

 大学図書館での資料探しの後。
 奈央子は彩乃と別れて通学路線の中継駅で下り、隣接するショッピングビルに寄り道をした。
 自宅から大学の最寄り駅までは30分程度だが、途中で一度乗り換える必要がある。その中継駅の周辺は、大きなビルや商業施設等が建ち並ぶ市の中心地となっている。
 日常的な買い物なら最寄り駅周辺でも間に合うのだが、中継駅近くの大型店や市立図書館に寄るついでに、と途中下車することも少なくない。この地域でバイトをしている学生も結構いるはずだ。



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【1】-5:話題の指輪

 奈央子の今日の目的は、ビル内にある書店に立ち寄ることだった。目当ての文庫本を購入した後はすぐ帰るつもりだったのだが、何とはなしにビル内の他の店をぶらぶらと散策していた。まだ5時前だったし、明日の試験は2科目あるがどちらも午後で、複雑な出題方式ではないと担当講師が明言してもいたから、ほんの少しだけど余裕も感じていた。
 ビル1階にあるブランドショップ前を通りかかった時、脇のエスカレーターを下ってきた人物に目が留まる。すぐに柊だと分かった。少し離れたところにシネマコンプレックスの入った商業施設があるので、デート先はそこだったのだろうと想像がつく。
 柊もこちらに気づき、手を振って近づいてくる。
 ——近くに里佳の姿は見当たらない。
 昼間のことが頭に浮かび、一瞬気まずい思いがよぎったが、里佳がいないのだから気にすることもないかと思い直した。……どうせ柊はわかっていないだろうし。
 「映画、終わったの?」
 「ああ、シネコン出て茶店寄って、駅に望月を送ってきたとこ。おまえは?」
 「わたしは本屋に用事があって……今日発売の新刊があったから。これからバイト行くの?」
 「そ、5時半から」
 柊のバイト先はこの駅ビル地下の居酒屋である。見たところ、日曜以外はほぼ毎日シフトを入れているようだった。ちなみに奈央子は、大学生協の売場で入学時から、講義の空き時間などに働いている。
 「どうでもいいけど、いつも楽しそうね」
 「まあな、結構性に合ってるって感じで……あ、っと思い出した。この店なんだけど」
 言いながら、柊はすぐ横のブランド店を指し示す仕草をする。
 「ここがどうかした?」
 「女子の間で流行ってるとかいうだろ?」
 確かにそうだ。今年春に放送されたあるドラマの中で、主人公が恋人の女性に贈る指輪として、この店の商品が使われていた。主人公が現在一番人気の若手俳優だったので、放送直後から「彼氏に贈られたいプレゼント」として注目され、3ヶ月近く過ぎても人気を集めている。
 実際、今も店の中には、カップルらしい何組かの客の姿が見える。
 「おれはそのドラマ観てないし、よくわからないんだけど……評判になった指輪ってどれ?」
 「えーと……あ、ここに札が貼ってあるやつ」
 ウインドウを見回して奈央子が指差したのは、どちらかと言えばシンプルなプラチナリングだった。
 10数万円の値札と並べて、「現在予約受付中」の札が置かれていた。やはり人気商品らしい。
 社会人ならまだしも学生だと、ドラマで使われたリングそのものは少々高額なため、4・5万ぐらいまでの商品が売れている——と、しばらく前の情報番組で特集していた覚えがある。



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【1】-6:「おまえは?」

 「なに、望月さんにリクエストでもされたの?」
 「いや……はっきり言われたわけじゃないけど。茶店でしゃべってる時にそういう話題が出たから」
 「話に出したのって望月さんからでしょ。てことはやっぱり、ちょっとは欲しいと思ってるからじゃないの」
 「そうかなあ……」
 柊は首を傾げる。その様子が、あくまでも純粋に疑問に思ってるふうなので、奈央子は「やれやれ」と思う。根本的に女心に鈍感なのだ。嘆くべきなのかどうなのか……複雑である。
 考え込んでいた柊が、再びこちらを向いた。
 「おまえは?」
 「えっ?」
 「だからさ、おまえもこういうの欲しいって思うわけ?」
 真顔で聞かれて、思わずどきりとする。
 もちろん、柊が全く他意なく聞いているのはわかっている。シチュエーション的に、勝手にこちらが意識しているだけなのだ。
 「わたし? え、と、そうねえ……」
 そう自己判断しつつも、声が上ずりかけている。考えるふりをして口に手を当て、気づかれないように深呼吸した。
 「……まあ、別に無理してまで買ってもらおうとは思わないけど。でも、もらえたら嬉しいかな、やっぱり」
 「ふうん?」
 そういうもんかな、と柊は呟く。
 そういうもんなのよ、と返したい気分だったが、余計なことは言わないでおこうと、心の中で言うだけにとどめた。
 「——あ、やばい、15分前だ。じゃあな」
 「はいはい、がんばってね」
 下りエスカレーター方面へと走り去っていく柊の背中に、奈央子は手を振った。
 その姿が見えなくなってから、無意識に詰めていた息をようやく吐き出す。
 久々に、柄にもなく緊張した。
 大抵のことには動じなくなっているはずなのだが……先ほどのような近い距離で、真顔で見つめられるのは、いまだにどうも落ち着かない。そうする柊の側に、まるで深い意味はないと承知していても。
 柊は特別に目立つ顔立ちではないが、奈央子が見る限りでは平均より整っている。やや童顔なところも、ある意味女の子受けのする容貌だと言える。真剣な表情は結構いけてる、とも思ったりしていた。
 最後の部分は欲目も入ってるかも知れないが、とにかく、そういう顔で見られると先ほどのような条件反射が起こってしまう。心臓をきゅっとつかまれたような気分になる。
 (修行が足りないなあ……)
 10年以上も変わらない反応を、そんなふうに考えてしまう奈央子だった。


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【2】-1:試験2週目

 試験期間2週目の水曜。
 3時限目の試験が終わった後、柊は学生会館内にあるサークル部屋に向かった。
 部屋とは言っても、学内にサークル・同好会の類は非常に多いので、複数の団体で一室を共有する規則になっている。それでも部屋を使えればまだ良い方で、小規模サークルだと利用申請をしても通らないケースは珍しくないらしい。
 柊が入っているのは、活動名目はテニスだが、実質は何でもサークルである。つまり学生が寄り集まって、春は花見・夏は海や山などの季節イベント、一年を通しては飲み会やボーリング大会などを行うのが通常活動という所だ。時には本当にテニスもするというが、柊はまだ企画を聞いたことがない。
 今日は、11月にある大学祭で出す出店の詳細を詰めるために招集がかかっていた。2週目も半ばを過ぎると早ければ全科目終了している者もいるし、そこまでいかなくても大半の科目は終わっている時期である。
 サークルに割り当てられている部屋に入ると、誰もいなかった。試験が終わったら順次集まるという話だったが、どうやら柊が一番早かったらしい。共有団体は何かの研究会だったと思うが、今日は活動
していないようだ。
 並べてある長椅子に腰掛け、誰かが置きっぱなしにしていた漫画雑誌をパラパラとめくっていると、部屋のドアが開く音がした。
 振り向くと、同じサークルの同期である木下が入ってくるところだった。
 「あれ、羽村ひとりか?」
 「ああ、まだみたいだぞ。来た時電気ついてなかったし」
 「一番乗りか……つまり、俺たちが一番ヒマってこと?」
 「別にヒマじゃねーよ。まだ語学1個残ってるし」
 「俺も明日締切の経済学レポートあるんだって。何してんのかね、他の奴ら」
 しゃべりながら木下は長椅子に近づき、柊の隣に座った。そして、
 「なあ、ところでさ」
 と言っていったん口をつぐみ、ドアの方角に顔を向ける。どうやら部屋に近づく人物がいないか確認しているらしい。今のところ誰も入ってこなさそうだと思ったようで、再び話し始めた。
 「……文学部の沢辺奈央子、おまえの幼なじみだったよな」
 いつもよりも抑えた声音でそう聞く。
 「そうだけど。なんだよ、いきなり」
 「彼氏いるのか?」



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【2】-2:近すぎて気づかない

 「——あ?」
 「あ、じゃねーよ。彼女に付き合ってる男がいるのかいないのか、って聞いてんだよ」
 間の抜けた(柊としては正直な)反応に、木下は妙なほど突っかかってくる。訳がわからず反射的に少し理不尽さを感じたが、答えないとまずい気がして、ともかく考えた結果を口にする。
 「……さあ? 少なくとも話は聞いてないけど。たぶんいないんじゃないのか」
 「その頼りない言い方はなんだよ。それぐらい知らないのか?」
 何か心外なことを言われたようで、ムッとする。
 「それぐらいって……あのなあ、なんで俺があいつの男関係をいちいち知ってる必要が」
 「興味ない、ってか?」
 先に結論を言われて、柊は口ごもった。
 その様子を観察して、木下はなにやら納得したような表情になる。しきりに頷きながら、
 「まあなあ、おまえは望月さんがいるからなー……それとも、近すぎて気づかないってやつか」
 「何が言いたいんだよ」
 「彼女を狙ってる奴が結構いる、ってことだよ」
 「はあ?」
 先ほどの反応よりも数倍、間の抜けた言い方だった——と、柊は後から思い返す。
 しかしその時は、本心から訳のわからない気持ちだったのだ。
 「————奈央子を?」
 「そうだよ。まさかおまえ、ほんとに気づいてないのか? 彼女がかなりレベル高いってこと」
 答えない柊に、木下は懇切丁寧に解説し始めた。
 「そもそもがかなりの美人だろう。スタイルもいいし。入試の成績上位に入ったのもかなり噂になってるけど、そういうこと鼻にかけてるって印象は全然ないし、ガリ勉っぽい暗い感じもしないし。それに笑った顔がとにかく可愛いしなあ」
 「……って、木下?」
 「俺以外に、うちのサークルで最低2人は目をつけてる奴がいると思うぞ。学部の知り合いにも聞かれたことあるし」
 そして、柊の目を見ながら、わざとらしい様子でため息をつく。
 「あんな子が近所にいたら、俺だったら速攻で付き合うけどな。もったいないよなー」
 ほんとにもったいない、と木下はなおも呟いている。返す言葉を思いつかないでいるうちに、廊下から数人の話し声が近づいてきた。
 声からすると、サークルの同期の連中らしい。
 木下と二人でそちらを振り向くとほぼ同時に、ドアが開く。思った通りの面々が入ってきて、先ほどの話題に対する柊の思考はいったん中断した。



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【2】-3:ひそかな優越感

 レンタルする道具や仕入れる材料の目星をつけ、一応の話し合いが終わったのは5時半頃だった。
 飲みに行くという他のメンバーと別れ、柊は自宅アパートへの道を歩いた。明日は1時限目、8時50分からの試験なので、バイトのシフトは入れていない。夜更かしは得意だが朝に弱いのだ。
 道すがら、サークル部屋での木下との会話を思い出した。
 幼なじみがそこまでモテるとは知らなかった。
 ……いや、そう言うのは間違っているかも知れない。
 ちょっと考えれば、奈央子がモテないはずがないと言うべきか。
 中学まで一緒だったから、昔から成績が良かったのは知っている。高校は特にハイレベルでもない女子高だったけど、第一志望の大学は難関国立だったらしいから、高校時代も勉強はそこそこやっていたのだろう。柊自身、宿題や課題で詰まった時には必ずと言っていいほど頼っていた。しかも現在進行形である。
 優等生ではあったが、木下の言う通りガリ勉タイプではない。実際の勉強時間は知らないけれど、例えば徹夜で勉強していたとしても、そういう雰囲気を感じさせないところが奈央子にはあった。加えてどれだけ良い成績を取っても、自慢げに口に出したことは一度もなかった。
 そして。
 本人に面と向かって言ったことはないが、確かに奈央子は美人だと思う。彼女の母親も40代半ばとは思えないぐらい、まだ若々しくて綺麗な人だ。
 中学の頃、クラスの女子で誰が一番可愛いか、といった話をするたび、必ず奈央子が話題になるのが内心自慢だった。正確に言えば、奈央子の名前が出て、彼女が柊の幼なじみであるのを他の男子連中がうらやましがることに、ひそかな優越感を感じていた。
 その頃は、そうやって話題にするだけで、本気で付き合う段階までは考えていない連中が大半だったと思う。今日の木下のように、幼なじみだからと探りを入れられたりした覚えはなかった。……いや。
 今思い返すと、一人だけ、何か聞いてきたような気もする。奈央子の好きな食べ物か、芸能人か……あれは同じバスケ部員で、同学年で一番早くレギュラーになった湯浅だったか。
 そういえばその後、やけに意気消沈していた時期があった。いつも過剰なぐらいに自信家で、肩で風を切って歩いているような奴だったから、元気のない様子がえらく目立ったものだ。
 聞いてみても理由は答えなかったが、要するにふられたのかも知れない——奈央子に。
 当時の湯浅の様子を思い出し、おかしくなった。思い出し笑いが出るほどに。



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